古代の都はどうつくられたか―中国・日本・朝鮮・渤海 (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 吉田歓
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2011/01/01
- メディア: 単行本
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中国諸王朝の宮殿といっても、時代によってその姿は大分違うこと。平城京や平安京が取り入れたような、整然とした碁盤目状の首都というのは、隋唐の段階になって始めて成立するというのが興味深い。そのような整然とした都城は、『周礼』に後に付け加えられた考工記の記述がモデルとなっているが、その成立は前漢の時代に発見され、その後影響力を持つようになっていったものであったこと。結果、『周礼』の記述が現実に影響を及ぼすようになるのは、かなり後で、南北朝時代の西魏の時代から現実に生かされるようになり、隋唐の時代に完成にいたる。
漢の時代の宮殿は基壇のうえにつくられた豪壮な建物だが、首都全体は不整形なものであったこと。三国時代の魏が「太極殿」に東堂・西堂を付け加えたスタイルを創出し、それが魏晋南北朝時代を通じて、正当な宮殿のスタイルとして継承されていく。宮殿が都の北の端に位置するスタイルは、『周礼』を忠実に取り入れたものではないんだな。
歴史のなかで徐々に形成されていく状況が興味深い。
残りは、東アジア諸国の宮殿に対する、中国の宮殿の影響。渤海と日本が、自分たちの生活スタイルを維持しつつ、唐の都城の地割をかなりの程度取り入れていた。それに対し、朝鮮半島の高句麗・百済・新羅の三国は、山城とふもとの二重スタイル、創業の地からうごけず都城を形成しなかったというような、独自のスタイルをとったこと。また、渤海の上京が唐長安城の忠実なコピーであったことなどが興味深い。
日本に関しては、律令国家を形成する過程で、小墾田宮、前期難波宮、藤原京、平城京、長岡京、平安京と遷都を繰り返しつつ、形を変えていったことが指摘される。