長谷川貴彦『産業革命』

産業革命 (世界史リブレット)

産業革命 (世界史リブレット)

 山川の歴史リブレットの一冊。現在の「産業革命」の関する研究史を、きっちりまとめていると思う。一方で、産業革命に関するイギリス一国史的な見方には、ちょっと疑問を感じる。なんというか、北海沿岸というヨーロッパの経済の中心を占める空間を共有しているのに、イギリスだけの話として語られてしまうのはどうなんだろうか。
 あと、現状の研究がそうなっているからとは言えるが、近世の経済変革が無造作に並べられている感がちょっと疑問。アメリカ大陸のユーラシア経済への組み込みの効果と蒸気機関の出現とエネルギー革命による変化を分ける分析手法が必要なのではないだろうかと思うのだが。


 以下、メモ:

 この「修正主義」と呼ばれるクラフツの見解は、大きな論争を呼んだ。しかし、一つのコンセンサスはできつつあるようである。つまり、成長率という統計的手法は産業革命という複雑な社会現象をとらえるには不十分であること、したがって、成長率の測定それ自体は重要なものではないということである。クラフツが統計的数字を用いたのは、産業革命という現象を再定義するためであった。そこで発見されたのは、国民的な経済成長の緩慢性だけではなく、労働力構成における重要な再編の発生であった。すなわち、労働者が農業部門から製造業部門へと移動していることであり、この構造変化こそが「産業革命」の名に値するというのである。クラフツによって主張された構造変化の側面は、あまり注目を集めなかったようだが、その後の「産業革命」研究が成長率の問題から別の領域に移っていく契機を与えたといえよう。p.16

 そもそも、「国民経済」を計るツールである成長率が、産業革命を議論するツールとして適しているのかってのはあるよなあ。あと、「構造変化」ってのは革命の結果なんじゃなかろうか。

 こうした西欧中心主義とその裏返しとしてのアジア中心主義の双方を乗りこえるような議論も展開されている。たとえば、ロイ・ビン・ウォンやケネス・ポメランツの議論がそれである。農業技術の革新、プロト工業化、地域間分業の進展などを特徴とする「スミス的な成長」といわれる近世の経済発展のなかでは、イングランドも中国も共通の経済発展をとげていたが、いまだ「マルサスの罠」(四頁参照)といわれる経済的成長の枠組みのもとに置かれており、やがて発展の限界に直面してしまう。ヨーロッパとアジアのあいだに「大いなる分岐」が発生するのは一八〇〇年以降のことで、とりわけ偶然にも石炭と海外植民地という二つの地理的条件を備えたイギリスで産業革命が始まり、ヨーロッパとアジアは発展の異なる経路をたどり始めるというのである。p.28

 近世の経済史を見ると、基本的にどこでも似たような事象が見られるしな。植物資源の限界というのは、近世の経済の大きな限界になっていたのだろうな。特に、乾燥地ほど深刻だったんじゃなかろうか。地中海沿岸なんかは、早く影響が現われているようだが。

 この産業的啓蒙論は、以下のような、いくつかの重要な側面を含んでいる。第一は、発明家にかんするもので、モキアは、産業革命期の発明を、過去の技術体系との急激な断絶を意味する「マクロな発明」と、既存の技術体系にたいして改良をもたらす「ミクロな発明」の二つの類型に区分する。産業革命期をつうじて偉大なる技術革新をおこなったのは、化学・金属・蒸気・繊維などの領域における一〇人ほどのマクロ発明家であったとされる。第二に、こうした発明家たちは、知識人と生産者を媒介する啓蒙の社会的ネットワークのなかで活動していた。それらには、ロンドンの王立協会をはじめ、地方レヴェルではバーミンガムの月光協会に代表される「科学哲学協会」、アカデミーやフリーメーソン支部、コーヒーハウスが含まれるという。p.43-4

 産業的啓蒙とか、マクロ発明家とか、おもしろいな。

 マクロな発明のなかで決定的な役割を果たしたのが、蒸気機関であった。蒸気機関は、十七世紀科学のなかでさまざまな試みがなされていた。トマス・ニューコメンが蒸気機関の発明に取り組んだのは、一つには技術的な必要性にもとづくもので、炭坑の採掘にともなう流出水の排水用のポンプを起動させるためであった。もう一つの動機は、特許を獲得することによって経済的利益を得ようとするものであった。科学的探究心の追及、あるいは啓蒙サークルとのネットワークが、ニューコメンの発明をもたらしたわけではなかったのである。事実、ニューコメンは、十七世紀の物理学のなかで発見された大気圧や蒸気の圧縮が真空状態を生み出すという事実を認識しないままに、エンジンを考案する。しかし、彼が蒸気機関の特許を売却することになる人物との接触が、科学革命の産物たるフランスの原基的な蒸気機関について学ぶことを可能にしたと考えられる。p.47

 ニューコメンって、科学とは没交渉だったのか。それでよく考え付いたな。

 鉱物依存経済においては、産業が木材ではなく石炭をエネルギー源として利用するため、これまでの数世紀において人口と産業の成長の足かせとなってきた要因が除去されることになった。これまで土地をめぐって競合していた、人間の生存維持と産業の成長の二つの要因が和解したのである。これによって、想像を絶する人口増加と経済成長が実現可能となった。石炭という無尽蔵の鉱石資源が、空前の規模での長期的な経済成長を可能としたのである。石炭は、産業・暖房・調理のための燃料を提供した。土地は、拡大する産業部門が必要とする人口に食料を提供するために利用されることになった。もちろん、石炭は有限の資源である。しかし、そのほかの資源に比べて無限の経済成長を約束するようにみえたのである。p.56-7

 まあ、その流れである現在の文明が、資源の限界と環境の限界という二つの限界に直面しつつあるわけだが。

 人口増加の原因について考えてみよう。伝統的な見解では、種痘など医療技術の変化によって公衆衛生が改善されて死亡率が急速に減少したこと、あるいは、出生率が高い水準を維持したことに原因が求められてきた。しかし、リグリーとスコフィールドは、その原因が主に早婚と未婚女性の減少にあったとする。すなわち、一七〇〇年から一八二一年のあいだに女性の平均初婚年齢は、二六歳から二三歳にまで低下し、一人ないし二人の子どもを余計にもてるようになった。また未婚女性の比率は、一五%から七・五%にまで下落した。さらに非嫡出子の増加の傾向もみられた。これらは、若者たちの性的志向性(セクシュアリティ)に大きな変化があったことを示している。p.66-7

 まあ、経済成長の結果、それだけ早い段階で所帯を持つだけの基盤を形成できるようになったということかもしれないが。