河合雅雄・林良博編著『動物たちの反乱:増えすぎるシカ、人里へ出るクマ』

動物たちの反乱 (PHPサイエンス・ワールド新書)

動物たちの反乱 (PHPサイエンス・ワールド新書)

 戦後の国土利用の変化によって人里や農地に野生動物が出没し、人間と摩擦を起こしている状況に対し、「ワイルドライフ・マネジメント」の手法を確立していこうと呼びかける本とまとめればいいのかな。兵庫県立森林動物研究センターの関係者によって書かれている。獣害問題に関して、全体的な知識を得るには好適な書物。
 最初に原因としての人間の森林利用の変化、ワイルドライフ・マネジメントの概説。その後、個別の動物としてサル、シカ、クマ、イノシシと外来生物としてアライグマとヌートリアの状況が紹介される。その後は、テーマ別に獣医学との関連、森林生態学、地域住民の被害の認識、動物観、倫理の問題などが紹介される。
 第一、二章は総説。第二次世界大戦後、石油が燃料や各種日用品、肥料の供給源となり、林産物が利用されなくなり、里山が未使用地と化したこと。木材を供給するための拡大造林が行なわれるようになったこと。また、畜産のために小規模な放牧地が各地に開かれたこと。これらが、むしろ、草地を作り出し、シカやサルが住みやすい空間を作り出したこと。さらに、農村から人口が減り、人間と野生動物が避けあう関係が崩壊したことが指摘される。緩衝地帯としての里山の再建のために、生産林・環境林と同時に、文化林、レクリエーションスペースとしての利用の促進を提言している。
 第三章はワイルドライフ・マネジメントの概説。生物多様性や健全な生態系維持の技術であり、モニタリングとフィードバックを行なう順応的管理が重要であること。個体数管理、生息地の環境を整えたり住み分けを行なう生息地管理、被害発生の原因とプロセスを解明し被害発生を抑止する被害管理の三分野に分かれるが、特に人間側に働きかける被害管理が立ち遅れていること。各行政レベルでの役割分担など。
 第四章から第八章までは個別の動物について。サルやクマ、イノシシなどは人間への警戒心を失って、人馴れしているのが問題であり、また集落内の農作物を食料としてしまっていることが指摘される。シカは繁殖力が高く、捕食動物がいないため、個体数を減らすのが基本的方策となるが、それが難しいこと。フェンスも突破されやすいとか。ツキノワグマの学習放獣が7割程度の効果を持つことや木の実の豊凶が人里に現われるか現われないかを左右するなど。まあ、ツキノワグマに関しては、生息数が増加して、マルサスの罠的な状況にある側面もあるんじゃなかろうか。イノシシの雑食性がシカと比べて食料を限定していることなどなど。
 第九章は獣医学と野生動物管理の関わり。麻酔銃による捕獲や安楽死などの業務、DNAを採取して生息数を推定する技術、ヤマビルの増加や人畜共通感染症などが紹介される。
 第十章は森林生態学の話。ブナの実の豊凶がクマの人里への出没を左右していること。特に複数の種で凶作が重なったときに多くなること。増えすぎたシカが、林床の植物を食べつくしている状況。それがさまざまな動植物の生息を圧迫している状況。つーか、イノシシも負ける状況ってのがすごい。シカは植物食に特化しているため、林床の植物が減っても、落ち葉を利用して生き延びることができるという。結果として、土壌の侵食が進行してしまう。シカに関しては、人工的な個体数管理が必要といった話など。鹿こえー。
 第十一章は被害を受ける側の認識について、下北半島のサルの事例を紹介している。外部には「動物の見方をするのか」的な強硬な言説が聞こえてくることが多いが、必ずしも対立一辺倒ではない重層的な感情が存在することを指摘する。被害は換金用の作物ばかりではなく、趣味や贈答も含む自家用作物にも及ぶ。これらの被害の認識は、作物の重要度によって変化する。また、下北半島の住民のサルへの感情を探っていくと、被害への悪感情だけではなく、かわいいと思ったり、擬人化して話題にしたり、日常のスパイスになったりと、多面的な感情があると。これはよく分かるな。近所の猫の糞害でマジギレしているけど、追い払うために観察しているからどんな猫がいるかもある程度把握できるし、追っかけるのが楽しかったりするしな。このような被害認識の幅と被害に関するコミュニケーションが「軋轢」の解消に重要というのは興味深い。人間側の認識を変えるだけでも大分違うと。
 第十二章は動物観。まあ、日本人があまり哺乳類の肉を食べないのは、魚介類が捕獲も食用の加工も圧倒的に容易というのはありそう。あまり宗教観を強調するのはどうかとも思うが。第十三章は倫理の問題。科学が主観的な誤りを正す可能性とか、宗教と殺処分をともなう業務の関係とか。
 それなりのボリュームだが、平易に読めるよい入門書だった。十一章の被害認識の話が非常におもしろかった。


 以下、メモ:

 戦前から戦後しばらくにかけて、害獣の筆頭はウサギとネズミ、モグラである。だが、それよりも大きな加害者は昆虫であった。とくにヨトウムシやウンカ、イナゴなどによる稲作被害は、甚大なものがあった。(中略)
 鳥獣害の中で、戦前から戦後十年ほどの間は、ヒヨドリ、スズメ、カラスなどの鳥害が一般的で、農作物への獣害はとりたてていうほどのものはなかった。ただイノシシだけは例外で、日本列島に稲作が始まって以来の農民の天敵であり、猪垣や土塁、空堀りなどの頑丈な猪垣が構築され、複数の村落が共同して防衛することも行なわれた。岐阜県根尾村(現、本巣市)では、当時の二七村が共同して高さ二メートルの石垣が八〇キロメートルにわたって構築され、また小豆島では、島全体を囲む一二〇キロメートルの猪垣が造られた。p.16

 獣害の時代による変遷や猪垣の壮大さ。どれだけリソースつぎ込んだんだ。

 当時行なわれていた植林の方式は、大面積を皆伐し一斉植林するという方式が採られた。鬱蒼と茂っていた森林が消滅し、その後に有用材である針葉樹の植林が行なわれたとはいえ、一見丸裸になった山を見て、自然保護派の人たちは野生動物の生息地の破壊を嘆き、抗議がなされた。ところが実は、この方式が野生動物の増加に役立っていたのである。p.35

 ニホンザルについても、洞察が不足していた。ニホンザルは森の動物である。成熟した広域の森林が遠慮会釈もなく伐り払われていく状況を見て、領土を奪われた難民の悲惨さを思い浮かべて嘆かれたものである。しかし実際は、住居を破壊されるという点では大きな打撃だったが、食物供給というレベルでは、新たな開拓地の開発という側面が展開していたことに気がつかなかったのである。広葉樹林の大規模伐採は大きな痛手には違いなかったが、コロブス類のように食物を全面的に木の葉に依存している樹上生活者でなくて、ニホンザルは地上・樹上生活者で、果実類を好む雑食的傾向の強い食性を持っている。それ故、伐採後に出現した低木草原は、格好の餌場となり、繁殖増強の舞台を提供することになった。森林伐採は野生動物の生息地の破壊だと思われていたが、実はひそかにシカやサルは個体数を増やしていたのである。彼らの野生のたくましさと適応力に、改めて驚きの念を禁じえない。p.38

 ニホンジカは、だだっ広い草原よりも森と草原が混在する所を好む習性がある。草食動物には二つの採食様式がある。一つはグレーザーといい、地上に生えている植物を食べる。ウシやヒツジがそうである。もう一つのタイプはブラウザーといい、背のとどく範囲の木の枝の葉を食べる採食法で、キリンを思い浮かべるとよい。この点、シカはグレーザーでもありブラウザーでもある両刀遣いなので、森林が採食地として重要である。それと隠れ場所として森林が必要なので、二〇ヘクタール以下の伐採地の散在は、シカの生息条件としては好適な状況を作りだしたといってよい。p.39

 むしろ拡大造林はシカやサルには有利だったと。畜産振興のための比較的小さな放牧地の造成が、シカに適した環境を作り出しているとか。生息密度が高いのか。

 農作物は野生のものに比べて消化率や栄養価が高く、食べられる部分が多い。農作物を採食することが多くなると、野生の食物だけ食べているときに比べ栄養状態がよくなるため、出産率が上昇したり、新生児死亡率が低下したりする。これまでの調査結果から、農作物を食べない群の出産率は二七-三八%なのに対し、農作物を食べる群の出産率は四八-七〇%と高いこと。逆に農産物を食べない群の新生児死亡率は二三-五三%だが、食べる群の新生児死亡率は八-一六%と低いことがわかっている。p.93

 ニホンザルの事例。つーか、人間においしいものは動物にもおいしいんだな。農作物を食べない場合はあまり増加しないそうで。

 まずやることは、サルが自由に食べられるものを集落から減らすことである。実は、集落には農作物以外にもサルの食べられるものがあふれている。カキやクリなどは早めに収穫するか思い切って伐ってしまう、農作物を収穫した後の野菜ゴミは処分する、お墓の供え物はお参りがすんだら片付ける、軒先のタマネギはサルに食い破られないようなネットか金網で囲う、倉庫の扉は開けっ放しにしないなど、やれることはたくさんある。p.98

 集落への定着を防ぐためには、集落の食料源としての価値を下げる必要があると。想像以上にめんどくさいようにも思うが。いろいろと食べられるものが放置されているんだな。

 人間がこれほど平野部に住みつき、農地を開拓する以前には、シカは平野部にも多く生息していた。その様子は、さまざまな記録に裏付けられる。例えば、江戸図屏風には、「谷中、板橋、鹿の群れ」が三扇に描かれている(国立歴史民俗博物館)。埼玉、千葉、神奈川でも、江戸時代までシカは多く生息していたことが、歴史的資料に記されており、関東平野には広くシカが生息していたことがうかがえる。また、戦後の分布情報では東北地方にシカがほとんどいないことになっているが、例えば秋田・男鹿半島では一七七二年に二万頭以上のシカが害獣として捕獲された記録が残っており、田畑でのシカによる被害の激しさと生息数の多さを物語っている。p.104-5

 大正・昭和初期に入ると、欧米の野生動物は絶滅寸前に陥った。そこで、日本の野生動物の毛皮は、外貨獲得に一役買う存在となった。大量の毛皮が神戸港や横浜港から出荷されている記録も残されている。国内でも、日露戦争や世界大戦などで、軍服に大量に毛皮を必要としていた。このときの狩猟圧は、日本の野生動物に壊滅的な影響を与えた。これは、シカにもあてはまり、全国各地からその姿を消し、限られた地域で細々と生き残った。一九七〇年代のシカの分布図は、当時の人による捕獲のインパクトを物語っているp.106

 シカの皮革の重要性とか、近世の駆除数の多さとか。おそらく皮革の供給源として、相当重要だったんだろうな。解体したからには、肉は食べていたんじゃなかろうか。
 あと、近代経済に接続された皮革動物って、悲惨なことになるんだな。

 シカとの関係をどのようにしていけばよいのだろうか。これまでの話を踏まえて、論点を整理すると、大きく分けて二つある。一つは、シカの数を減らさなければならないが、現代日本では、野生のシカを利用する必要性がないため、捕獲がうまくいっていない。二つめには、現代の農林業は、戦後シカのいない自然環境の中で仕組みが作られているため、いつまでたってもシカ対策は重要な位置付けにならないということが挙げられる。重要な位置付けというのは、シカ対策には労力も資金も必要であり、不足した知識と片手間の仕事では到底対応しきれない、ということである。p.121-2

 うーん。確かに需要がないのがな。シカの毛皮ファッションの振興でもするしかないのかね。肉は需要に限りがあるだろうし。

 一方昔からイノシシの多い地域では、一方的に増えていくのではなく、競争の強弱や環境の変化に応じて、増えたり減ったりを繰り返す状況になる。実際に昔からイノシシの多かった兵庫県においては、一九七〇年代には捕獲数も多かったが、八〇年代には捕獲数は減り、有害捕獲はほとんどなくなった。そして、九〇年代後半から再び被害が増え始め、二〇〇四年には、捕獲数もピークに達したが、ここ二-三年の捕獲数は減少傾向にある。p.178

 もともとの生息地では、イノシシはそうがんがん増えたりしないと。

 科学は万能ではないが、極めて高い倫理規範を確立する上で有効な武器になる。間違った主観を排除するからだ。カナダの環境大臣であったユージン・ラポワント氏が指摘したように、「多くの人びとが科学の成果を正しく理解する時間的余裕がないこと、また科学者たちはえてして無言であることにつけこんで、一部の過激な活動家たちが自分たちの主張が科学的・倫理的に正しいという印象を国民に与える」ことがしばしば生じていることを、わたしたちは肝に銘じておく必要がある。一部の過激な活動家たちの主張が、国民を誤った方向に誘導することがしばしば起こるからだ。p.323

 あー。いろいろいるねえ。国内でも、国外でも。