深谷克己『死者のはたらきと江戸時代』

 江戸時代の社会が、生者と同時に、死者によっても強く駆動されていたこと。また、自宅で死を見取るなど、死が身近であったことを指摘する。日記などによって自分や周囲の人物の死をどのように受け取ったか。また、生者からのその人の「死に様」に意味づけなど。正直、きちんと読み取れていないが…
 江戸時代の「遺訓の政治文化」というのが興味深い。始祖や名君などが遺言した言葉が、政治的正当性やその時々の方針決定に影響を与えたこと。一方で、不都合な遺言・遺訓が消去される場合もあることが、綱吉の「生類哀れみの令」継続の遺言が後継者によって取り消された事例によって示される。また、生前から言行を収集編纂して、「名君」を演出する事例も興味深い。また、このような遺訓の文化として、三井家などの商家の事例も紹介している。
 最後の看取りも現在との差を見せる。看病に追われるとはいえ、完全に世話が必要になってから一月くらいだから、現在の介護より楽と言えば楽なんじゃなかろうか。あと、感染症の場合、こういう看病が感染を拡大させる側面もあったんだろうなと思った。医者や薬の利用が結構多いのも印象的。現在の目から見ると、どれだけ効果があったのかという気もするが。いろいろと対策をしていたんだな。
 あとは、「死」の意味づけ。「神格化」や「成仏」、自死の意味づけなど。それが持つ意味を社会の側で読み取って、意味づけしていくと。社会一般での、特定の人を神にしていく動きも興味深い。

死者と生者の関係は、死者と生者の距離や生者側の「立ち位置」によっても異なってくる。今日でも「英霊」とされる多数の戦没兵士と自身とをどのように関係づけるかは、歴史の見方ともかかわってたいへんむつかしい。しかし、これも死者と生者の関係であり、死者が今日の生者の世界を規定する力の強さゆえに生じる難題なのである。p.201

 現在であっても、死者は社会や政治を強く規制すると。