万石谷のおまつり広場西端、駐車場からの入り口に立っている石碑。この一体の遊水地建設、公園化に伴って建てられたもの。しかし、半世紀もたつと、この地域がはげ山状態だったことなんて想像もつかなくなるな。
石碑正面
石碑裏面
立田山憩の森
立田山(龍田山)は、その昔、濃い緑に覆われてい
たため黒髪山といわれていました。平安時代(九八
六年)に有名な歌人であった清原元輔が国司として
肥後の国に来たとき、この山の姿に奈良の龍田の里
を偲んで、名を改めたといわれています。
江戸時代には禁制の山として伐採が許されず、う
っそうとした森でした。
戦中戦後に伐採や開墾が行われ、この豊かな緑も
失われましたが、その後、植林などで緑は復活しは
じめたものの、昭和四十年代には宅地開発の危機に
みまわれました。
「立田山の緑を守ろう」という県・市民の声に応
えて、熊本県と熊本市は、公有化して保全すること
を昭和四十九年度に決定し、二十二年の歳月を経て
平成七年度に完了しました。
この憩の森の広さは百五十・四二ヘクタールであ
り、整備に要した経費は七十六億四千三百万円でし
た。この間、当事業にご協力を賜った方々に深く感
謝の意を表します。
国指定の天然記念物ヤエクチナシ自生地もあり、
これまでも多くの人々に愛されてきた立田山ですが
「森の都のシンボル」として末永く保存され、子供
からお年寄りまで多くの人々が自然とふれあう「憩
の森」として親しまれることを心から願っておりま
す。
平成八年三月