アレッサンドロ・バルベーロ『近世ヨーロッパ軍事史:ルネサンスからナポレオンまで』

近世ヨーロッパ軍事史―ルネサンスからナポレオンまで

近世ヨーロッパ軍事史―ルネサンスからナポレオンまで

 ヨーロッパの軍事史を、中世後期から19世紀初頭まで、四期に別けて解説した本。兵員がどこから供給されたか、戦術、組織など、過不足なく解説している。ただ、ヨーロッパの本にしては、注がついていないのが珍しいな。まあ、イタリア語の本が並んでもしょうがないのは確かなんだけど。
 本書は全体として、時代ごとに四部に別けられている。最初が中世後期。騎兵と長弓兵の時代。続いて、16世紀から17世紀前半、イタリア戦争から三十年戦争の時代。歩兵が主人公に躍り出、軍隊の規模が拡大する軍事革命の時代。その後が17世紀後半から18世紀半ば、アンシャンレジームの軍隊。非常設の傭兵軍から常備軍へと変化する。最後が、フランス革命からナポレオン戦争にかけて。「国民軍」の出現。
 第一章は、中世後期。この時代は依然として騎士が軍事の中枢を占めていたこと。クールトレーの戦いや百年戦争におけるイギリスの長弓兵の活躍などが強調されるが、依然として中核は騎士であり続けたこと。歩兵より騎兵が多数を占めたこと。その編成が重装騎兵とその従者や補助兵員などからなる「騎」という単位で組織されたことが紹介される。この時代封建的義務に基づく動員から個別的な傭兵契約による動員への変化。「傭兵」として従軍する騎士が依然として貴族であり、名誉が損なわれることはなかったこと。高価で、また専業度の低い軍隊のため基本的には野戦による決戦が避けられたこと。フランスなどで、騎士と長弓兵による常備軍が組織された事例などが興味深い。また、変化の萌芽としてスイス人傭兵の登場と大砲の登場が指摘される。
 第二章は15世紀末に始まったイタリア戦争から17世紀半ばに終結した三十年戦争の期間。ジェフリー・パーカーなどが提起した「軍事革命」の時代。長槍歩兵による方陣が戦場の中核を占め、騎兵は脇役に追いやられることになる。また、長槍歩兵は、白兵戦歩兵や火縄銃兵の支援を受けた。この時代、軍勢は規模を拡大したが行政的能力が及ばず、私的企業家と国家の混合形態にあった。また、この時期の前半には傭兵は非常に羽振りのよい職業だったのが、国家の統制強化と財政悪化によって、支払いが減少していく。
 第三章はルイ14世の軍隊と戦争を典型とする時代。17世紀後半から18世紀半ばまで。常備軍の設置と詰め将棋のような相手となるべく戦わないで撤退させる戦争の時代。軍隊が常設化され、その組織として連隊が核となる。また、軍隊に対する国家統制の進展と標準化。士官が現在のような昇進を含むキャリアとなり、一方兵員は非常に低い給金で除隊もできない隷属的な身分に転落する。戦術としては横隊による戦列歩兵の時代。この時代の歩兵は怖いよなあ。至近距離で列を組んで撃ちあいとか。あまり行われなかったとはいえ、いざ会戦となれば参加者の数割が戦死という。この時代を「第二次軍事革命」と本書ではしているが、むしろ前代の軍事革命の達成に、国家が身の丈をあわせていく過程と見るほうがいいように思う。
 最後はナポレオン戦争の時代。フランス革命以後、再びイデオロギーが戦争の主題となってくる時代。徴兵制が導入され、軍の規模が飛躍的に拡大する。また、師団や軍団などの組織の導入、複数の参謀がつくことで管理能力の上昇、地図の整備、補給を現地調達に頼るなどの手法によって、軍隊の機動力が上昇し、会戦による野戦軍の撃破が戦争の主要な目的となる。戦術としては、横隊、縦陣、方陣が必要に応じて組み変わるシステムの導入や砲兵の攻撃的使用、散兵の利用などの戦術的革新も紹介される。
 気になった点としては、いくつか訳語の選択に首をひねるものがあったこと。本書中に「迫撃砲」という単語が頻出する。これってmortarの訳語だと思うけど、「迫撃砲」は第一次世界大戦で出現した比較的新しい兵器であり、中近世の兵器ならば臼砲と訳すべきではなかろうか。あと、帆船で「艦橋」という用語が出てくるのも不審。「その基準は各軍艦のトン数と艦橋数、換言すれば積載砲数に基づいている」(p.138)とある。どうも、砲甲板のことを指しているようだが、ここも原語ではどう表記されているのだろうか。


 以下、メモ:

一四四八年の日付のあるリボルテッラの論考は、ミラノ攻略のためにヴェネツィアがフランチェスコスフォルツァに対し、四千の騎兵と二千の歩兵を即座に、さらに二千の騎兵を一ヶ月以内に提供したと断言する。この時代の軍隊構成をめぐるこのような証言を得るたびに我々は、騎兵が歩兵に比し多数であるか、少なくとも同数を数えたことを目にするだろう。p.9

 15世紀の戦争では、騎兵が多数を占めていたと。

 技術的進化もまた、兵士の社会的零落に寄与している。というのも火縄銃もマスケット銃も、長槍とは異なり操作の習得に、数時間の練習しか必要としないものであるからである。傭兵契約についても歩兵の発言権は、次第に削りとられていく。こうした彼らの発言権の衰弱にともない、支払われる給金もまた削減されることとなる。各国政府は軍事支出の際限ない増大に、ほんとうに切羽詰っていたのだ。一六世紀初頭の長槍兵一人の給料は、ささやかながらも一人の紳士を作り出すに足る程度のものであった。だが世紀の終わりになると、人夫一人の給料以下にまでそれは削減されてしまう。こうした給与上の淪落は、兵士の社会的条件の破滅的帰結を呼び起こす。兵士に応募することはもはや、栄誉ある生業につくことではなくなる。むしろそれは乞食に身を落とすか犯罪人になるかの、一歩手前の窮余の策に成り果てた。大軍は今や「人間のくず」により、やっとのことで成り立つところにまで追いやられていた。彼らは、シェイクスピアの『ヘンリー四世』においてジョン・フォルスタッフ卿が、「火薬の餌、蛆虫の餌」と皮肉を込めて呼び慣わしたような存在だったのである。p.18-9

 むしろ、16世紀の初頭には長槍兵をやれば、紳士になれる程度に稼げたというのが驚きだな。そりゃ、いい稼ぎだっただろうな。

論者によってはスペインのフランドル方面軍こそが、このような常備軍濫觴だったと称されている。オランダ独立戦争はそれより一世紀以上にわたり、世界の半分を相手に繰り広げられた。そしてスペインのフランドル方面軍という、この間断なき戦争に雇用された古参兵からなる精強な軍隊は、兵卒の不断の徴収によって維持された。だが現実にはこのフランドル方面軍の場合ですら、恒常的組織と言えるのは、資金の支払いや軍勢の宿営を確保するための官署だけであった。個別の部隊は、当時のヨーロッパ各地に支配的だった制度に基づき徴収され、補給を受けている。それは混合的制度とでも言うべきものであった。この時代こそは実に、国家より支援された個人的大起業家の支配する時代と称し得るのだ。p.60

 この、国家と個人の微妙な混合こそがおもしろいんだよな。