手前の石碑に引き寄せられて近づいたら、モニュメントの方が本体だった。終戦後の大陸からの引揚を記念するための巨大モニュメント。付属の記念碑の外国語タイトルは省略。
モニュメント正面
博多港引揚記念碑
那の津往還
豊福智典
敗戦直後の失意とその後に湧き興ってきた
生への希望を永遠に記念するモニュメントと
して制作しました。
舟の上の本体(人間)の朱は、古代から愛
されてきた色であり、那の津と呼ばれて来た
博多港の希望を表現したものです。
1996年3月
付属石碑
博多港引揚記念碑
博多港は、今日、海に開かれたアジアの交流拠点都市福岡市の玄関口として、また、世界
の主要港と結ばれた国際港湾として大きく発展しつつある。
思えば、この博多港は昭和20年(1945年)の終戦直後、引揚援護港として指定を受
け、約1年5か月にわたり中国東北地区や朝鮮半島などから一般邦人・旧軍人など139万
人の人々がこの港に引揚げ、また、当時在日の朝鮮人や中国人など50万人の人々がここか
ら故国へ帰っていったのである。
戦後50周年の節目の年にあたり、私たちは、かつて博多港が国内最大の引揚港として果
たした役割を忘れることなく、アジア・太平洋の多くの人々に多大な苦痛を与えた戦争とい
う歴史の教訓に学び、このような悲惨な体験を二度と繰り返さないよう次の世代の人々に語
り継ぎ、永久の平和を願って、この記念碑を建設するものである。
平成8年(1996年)3月
福岡市長 桑原敬一