勝目純也『海上自衛隊潜水艦建艦史:世界最高峰の性能を誇る静かなる鉄鯨たち』

海上自衛隊 潜水艦建艦史

海上自衛隊 潜水艦建艦史

 戦後の潜水艦建造と潜水艦隊整備の歴史をたどった本。非常に整理された記述で、読みやすい。半世紀にわたる蓄積から、世界的に評価される潜水艦が開発されたと。アメリカから供与された潜水艦を利用して、対潜部隊のターゲットサービスを実施する部隊から出発して、徐々に勢力を拡大。大型潜水艦にするか、小型潜水艦で数を揃えるか。あるいは、水中高速型から涙滴型船型への移行にかかった手間。推進軸を一つに減らす過程で抵抗があったとか。あとは、静粛性の確保に、手間と注意を払い続けている話。1デシベル下げるのに、数億から数十億円か。高度になるほど、コストがかかると。まあ、裏読みに慣れてくると、現在の規模の潜水艦部隊に成長させるために、海上自衛隊内部や大蔵省相手で、どんな政治的折衝やら派閥争いが演じられたのかねってところが気になってくるけど。どこの組織でも、仁義なき予算分捕り合戦が演じられているわけで。
 あと、本書では、そうりゅう型の後継艦についてはっきりとした情報が出てこない段階で書かれたもののようだが、後継艦ではリチウム電池でAIPはオミットされるんだよね。本書では、褒めているけど、結局AIPには問題があるってことなのかね。あと、リチウムイオン電池も、B787で火災起こしたり、安全性には問題があるようだけど、酸素や水素を生で持ち歩くより安全という判断なのだろうか。
 アメリカから貸与されたくろしおの回航要員が、ほとんど旧軍の潜水艦乗りなのも、印象的だな。ものすごく、旧軍からの連続性が強い。この連続性は、海上自衛隊全部あてはまるのか、自衛隊全部にあてはまるものなのか、潜水艦部隊だけにあてはまるのか。


 第四章までが、旧ガトー級潜水艦くろしおから現在のそうりゅう級までの流れ。その後は、救難艦などの支援艦艇とさまざまな基礎知識の話。付録で、戦時中の潜水艦の歴史とデータ集。
 第五章は潜水艦救難艦を中心とする支援艦艇。国産潜水艦くろしおの竣工の9ヵ月後には最初の救難艦が竣工していたように、潜水艦の整備と同時並行に整備されていたこと。現在の主要救難方法であるDSRVによる救難方法の解説。幸いにして、海自潜水艦の救難事例は今までないが、実際に事故が起きた時にDSRVによる救難ってどの程度機能するんだろうか。あとは、飽和潜水員による救難とか。自衛隊員による記録は450メートルだそうで、すげーな。そして、なにより驚くのは、再圧タンクでの加減圧にかかる時間。加圧は450メートルの場合は4日、さらに減圧は時間がかかって100メートルで5日、300メートルで11日と。退屈で死んでしまいそうだ。あと、第一世代の救難艦は艦の固定にスパッドという大型ブイを使っていたが、二世代目の現用艦はGPSなどを使った自動位置保持が可能になっているそうだ。スパッドの場合、海が荒れているときなどは時間がかかったのだとか。昔の潜水艦救難艦のサイドについている円筒状のものの正体はこれだったのか。自衛隊の潜水艦救難能力はきわめて高いとか、そのために専用の施設を整備しているとか。あとは、演習の支援などをおこなった旧式護衛艦の紹介。
 第六章は、自衛隊潜水艦関係の基礎知識。潜水艦の最重要能力が静粛性であるとか、部隊編成、潜水艦乗りの養成や幹部のキャリア、要員の配置や艦内での生活など。潜水艦に乗っていると運動不足になるのか。あと、そうりゅう級ではサニタリータンクをブローした後の高圧空気を艦内に放出する必要がなくなったとか。だとすると、潜水艦乗りの「匂い」は軽減されるのかね。あとは、要員の冗長性がないのだなとか、潜水艦基地隊の役割とか。


 別章として、戦前の潜水艦の略史が掲載されている。日露戦争中に購入されたホランド級から始まる旧海軍の潜水艦の歴史。今や、自衛隊の潜水艦の歴史の方が長くなっているわけだが。ホランド級の導入をめぐる紆余曲折。6号潜水艇の沈没。第一次世界大戦後のフランスのS級やイギリスのL級の導入。L級の最後のクラスは、第二次世界大戦でも二線級とはいえ、広い範囲で活動しているようだし、よっぽど実用性が高かったのだな。ドイツの潜水艦技術者を招いての技術導入。
 ワシントン条約時代から戦争中の流れ。艦隊漸減作戦の構成要素として、主力艦隊襲撃のため、索敵能力・航続距離・水上速力を重視した潜水艦が整備された。しかし、第二次世界大戦直前の演習成果から、すでに主力艦隊襲撃の戦力としての潜水艦には疑問符がついていたこと。しかし、新たなドクトリンを策定する間もなく、それが潜水艦戦力の利用を混乱させたという。遠距離哨戒や交通破壊に向けた変化というのは始まっていたと。
 太平洋戦争が始まると、潜水艦も大量に生産され、戦線に投入された。実に戦前期の潜水艦の半数以上が、戦時中の完成であるという。しかし、1944年以降は、アメリカ軍が優性になるにつれて、不利になり、次々と撃沈される。1隻の船を撃沈するのに、7隻が犠牲になる有様だったという。これに対し、水中高速型や伊400級などの新機軸が模索されるが、戦力化される前に、終戦を迎えた。残った潜水艦も、次々と処分され、戦後の再開まで10年のブランクがあく。
 潜水艦の歴史とか、知らないことだらけだったな。あと、潜水艦の艦歴を調べると、島嶼への輸送任務の途中で撃沈されている艦が多いのが印象的。予想もしなかった、輸送任務で酷使されて消耗していったのが、アメリカ海軍と日本海軍の潜水艦の戦果の差だったんじゃなかろうか。あと、水上艦隊の対潜戦闘能力の格差。そもそも、護送船団がいちいち現在位置を打電していた時点で、日本の潜水艦対策が全然なっていないわけだが。


 以下、メモ:

 艦首に備えられたソナーも、ラバードーム化によって大幅な性能向上を果たしている。艦首ソナーのラバードーム化についても、先に「あさしお」が装備して実験し、その結果が極めて良好だったため、「おやしお」型への装備が決まった。ラバードーム化により、本型から観艦式で多くの一般乗艦者を魅了していた急角度での浮上、いわゆるドルフィン運動は不可能になった。p.112

 へー、おやしお型以降、ドルフィン運動ってできないのか。

 太平洋戦争に参加した潜水艦、すなわち出撃した潜水艦は154隻だが、そのうち127隻が沈没して帰らなかった。生き残った潜水艦は27隻という計算になるが、開戦当初は実戦配備されていても、途中老朽化により練習潜水艦になったり、竣工はしたが初陣で終戦を迎えたりした潜水艦も含まれての数である。それらと輸送用潜水艦を別にし、本来の攻撃型の潜水艦で、何度も出撃を重ねた高練度艦で生き残った潜水艦はいったい何隻かと見てみると、なんとわずか伊号潜水艦で4隻、呂号潜水艦で1隻でしかない。まさに全滅といってよい損害である。p.202

 うーむ。これはひどい。潜水艦は全員戦死の例が多いので、損害率も相当高いとか。