高橋啓一『化石は語る:ゾウ化石でたどる日本の動物相』

 古琵琶湖層群を中心とする、西日本の動物化石の変遷から、気候変動や大陸との陸橋の消長に伴う生物相の変動を明らかにしている。琵琶湖周辺や安心院での、化石の発掘の話もおもしろい。比較的新しい時代でも、大型生物の全身骨格って希少なのな。ゾウの臼歯や牙の化石は良く見るから、骨格も良く出ているのかと思えば、そうでもないようだ。まあ、新生代動物化石って、地層が海底に沈んでいることが多そう。魚網に引っかかって、ゾウの臼歯の化石が見つかるってのは、有明海でもあるそうだし。
 地層の年代を決定するための火山灰層の由来火山の決定やそのためにかかる手間の話も。各地の火山灰層の資料を収集し、処理して分析する。山のなかを歩き回るのだから、その手間は推して知るとしか。
 安心院動物化石の多様さとかも興味深い。


 琵琶湖とその前身たる古琵琶湖層群を形成した湖沼群は、以下のような変化をたどった。450万年前から360万年前には、三重県伊賀市東部に「大山田湖」と仮称される湖が存在し、古琵琶湖層群の最下層、上野層を形成した。続いて、320万年前から260万年前には、大山田湖の北側に湖が形成され、「阿山湖」「甲賀湖」と称される。その後、この地域からいったん湖が消滅し、260万年前から130万年前には、湿地帯が広がる。これによって形成されたのが、蒲生層。メタセコイアの化石林が出土するため、地表が頻繁に撹乱があったことを示すという。メタセコイアは撹乱された土地に真っ先に進出するそうだ。その後、130万年前には、現在の琵琶湖の南部に堅田湖が形成される。現在の琵琶湖の原型であり、徐々に拡大して、現在の琵琶湖に至る。
 大山田湖時代には、西側で大陸と地続きで、生物相は「大陸的」な様相が強かった。中国南部の生物相と共通性が強く、当時が現在より温暖だったことを示す。貝類ではタニシ類が、魚類ではコイ属が棲む湖で、これまた現在の中国の生物相と近いものであったという。大型哺乳類では、大陸のツダンスキーゾウに近い、ミエゾウの時代であった。
 300万年から250万年前には、寒冷化が進み、温暖な気候で生きていた生物が絶滅していく。また、大陸との接続が切り離される。結果、寒冷化に耐えられなかった生物は絶滅し、新たな供給も絶えたため、生物相は貧弱になっていった。
 蒲生層の時代には、湖がなく、湿地や河川堆積物が主体の時代となる。この地層から特徴的な化石として、大量の足跡化石や化石林が紹介される。また、前代のミエゾウから、小型に進化したアケボノゾウが生きていた時代となる。哺乳類化石としては、シフゾウや大陸と共通性の強いシカ類、ファルコネリオオカミといった種類の化石が発見されている。寒冷化を耐えた生物たちと、新たに渡ってきた温帯の森林性の生物で生物群が構成されるようになる。
 100万年前以降は、現在につながる堅田湖の時代となる。現在丘陵化している琵琶湖西岸も当時は、土地が低く、湖の堆積物が残る。この時期には、氷期間氷期を繰り返す時代となる。基本的には、島嶼として孤立するが、寒冷期には海水面が低下して、一時的に大陸とつながり、動物群が流入する。63万年前には、急速な温暖化と海水面水準の上昇の間隙をぬって、トウヨウゾウ、ニホンムカシジカ、スイギュウ、サイ、トラ、クマ、ニホンザルなどが渡ってくる。34万年前にも、ナウマンゾウやオオツノジカ、ニホンジカ、オオカミなどが渡来する。この時期が、現在につながる生物の渡来時期ということなのか。一方、北海道を中心に、マンモス動物群と呼ばれるシベリア系の寒冷な気候に適応した生物群が渡来してくる。寒暖の変化にともなって、温暖な気候に生息する生物と寒冷な気候に生息する生物が、シーソーのように分布を入れ替えるようになる。最終的には、大陸から孤立した本州以南では、独自の種が非常に多くなる。一方、北海道では、1万年前まで大陸と地続きだったため、独自の種は比較的少ないという現在の生物相が形成される。
 地形の変動と気候変動の二つの要因が、日本列島の生物相を形作った姿がわかる。まあ、古琵琶湖層群の生物研究の流れと、3章の日本全体の哺乳類生物相の変遷と、二度時代をたどるので、まとめなおすとなると苦労した。一方で、各地での化石発掘や研究、大陸の各種標本の比較研究など、古生物学研究の現場も垣間見られるのが楽しい本だった。


 以下、メモ:

 ミエゾウが含まれているステゴドンゾウの仲間は、現在生きているアジアゾウアフリカゾウとは異なるグループで、インドからアジアにかけておよそ六〇〇万年以上前から四〇〇〇年前までこの地球上に生きていたが、現在は絶滅してしまったゾウ類である。ステゴドンゾウの仲間は、中国南部からタイ周辺の地域で三つのグループに分かれ、そこから西や南や北に広がっていった。このうち北にいったグループがツダンスキーゾウのグループで六〇〇万年以上前から三〇〇万年前の間に中国の黄河流域などで生息していたことが知られている。どうやらこのツダンスキーゾウあるいはコウガゾウと呼ばれているゾウが日本のミエゾウとの関係が深いらしい。p.92

 4000年前って、つい最近じゃない。ゾウって適応力高いんだな。

 岡村さんがタイとカリマンタン島の野外で現在の足跡を調べた結果では、ごくおおまかにいえば、その地域に生息し足跡をつけることができる哺乳動物のうちおよそ三割の種類の足跡を確認することができることがわかった。その他の七割の動物たちは、どこかに足跡をつけたはずなのだが、付きづらかったり、付いてもすぐに消えてしまっているのであろう。足跡が観察できた場所としては、林道、小さな道、人工的につくられた動物たちのための塩なめ場、ヌタ場、湖畔などで、森林や草原ではあまり足跡を観察することはできなかった。森林や草原で足跡が観察しづらいのは、それらの地面が落ち葉や草でおおわれていて、その上から踏み込むので足跡が付きづらいことが原因と考えられる。しかし、このような足跡が残りづらい場所でさえ、体重の重いゾウやツメの先が鋭いシカの足跡は少ないながらも観察することができたそうだ。p.145

 現生生物の足跡の観察から、足跡化石の特徴を明らかに。古琵琶湖層群の足跡化石がシカとゾウに偏っているのは、故なきことではないと。