- 作者: 小林一郎
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2014/05/01
- メディア: 単行本
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最初は、横丁や路地の形成を、江戸の街づくりから説き起こす。江戸の町が京都をモデルにしてというのは、どうなんだろう。町を正方形に区切るというのは、わりと普遍的なモデルなんじゃなかろうか。とりあえず、正方形のモジュールを、地形に合わせて組み合わせて造られたのが江戸の町。表通りから横に入った道が「横丁」となった。また、近代に入り、大き目の武家屋敷が分割されて売却される、あるいは寺社の所有地が減らされ経営策として境内地を商業地に転用する。そのような形で「路地」が形成される。
第3部は、実際の路地の探訪。結構、古い商店建築が生き残っていたり、生活に密着した店が生き残っている風情。人が集まり喫茶店や飲み屋。ビルに取り込まれた路地。そういえば、本郷のところに出てくる金魚屋は、『江戸創業金魚卸問屋の金魚のはなし』のお店だよな。あと、京都の路地もいくつか紹介されるが、東山の方は本当に行ってないなあ。自転車行動、観光客が多いということで、避けていたが、もったいないことをした。あと、西陣方面でも、俺はなにを見ていたんだという感じが。
ラストは、路地の楽しみ方。しかしまあ、確かにああいう空間は入るにはちょっと勇気がいるな。
後藤が江戸を壊したといわれる。たしかに幅広の道路や公園をつくったということは、それだけ、区画整理を進めたということになる。これにより、東京市の区画整理地内での全面積に占める道路面積率は一〇%強から二七%へと拡充、パリ(二三%)やベルリン(二六%)に並ぶ都市をつくりあげている。このことは、裏返せば、横丁、ネーミング横丁、路地といった町筋やエリアを破壊したともいえる。実際、破壊したはずである。ただし、後藤は「大風呂敷」というイメージから東京や横浜にいきなり大掛かりなバロック都市をつくろうとしたと考えられがちだが、実際にはそうではなかった。しかも、逆に区画整理の手をつけてはいけないエリアもきちんと主張していたぐらいなのだ。p.20
モータリゼーション前の段階で、土地の1/3が道路だったのか。意外と土地の効率良くないんだな。あと、後藤新平が区画整理の手をつけてはいけないといった場所はどんな場所なんだろう。