[災害]阪神・淡路大震災から20年、共助を軸としたあたらしい防災へ / 永松伸吾 / 災害経済学 | SYNODOS -シノドス-
自助の過度の強調が、共助や公助の後退を招くか。自己生存に「合理的」な行動を行う結果、物資が不足し全体の利益が失われる。あるいは、公助の水準が自助のレベルによって決まるため、公助の資源投入量が下がる可能性。「釜石の奇跡」の自助にしても、家族や地域愛などの共助によって駆動されているという指摘が興味深い。
各種の社会資本やクラブ財の存在が、地域の復興を早めると。
地域に生活している限りは、やはり地域とは切り離せない。人間への投資の必要性、他のリスクへの対応の必要性か。
しかし、阪神大震災で、結局7割の人が自宅で被災生活を送っていたのか。で、こういう状況が知られなかったということは、自宅で生活している人には公的な支援がほとんど届かなかったということだよな。東日本大震災でも、同様の事態は指摘されているし、このあたりをどうするかを考える必要があるのだろう。
また、被災者の生活再建に必要な資金の一部を公的資金によって支援する「生活再建支援制度」が1998年に始まりました。多くの識者、とりわけ経済学者はこれを行政による過剰な介入であり、自助を阻害する制度だと批判しました。しかし、阪神・淡路大震災の被災地はそうは考えませんでした。
え、そんなの居たんだ…
[災害]阪神・淡路大震災「1.17の記録」
メモ。1000枚かあ…
[災害]想像を絶するすさまじい地震・火災・避難の実態を記録した知られざる阪神・淡路大震災の写真まとめ「1.17の記録」 - GIGAZINE
私は被災地にだいぶ時間がたって入ったが、あちこちに壊れた建物が散在しているのには驚いたな。そして、なんか終戦後を思わせる三の宮の状況。
写真とかだとフレーム一杯に破壊の風景が写るが、実際にその場に行くと印象はだいぶ違うんだよな。壊れている建物のすぐそばの建物は普通に生き残っていたりして、その落差がより破壊の印象を強めると言うかね。
あと、ビルがぶっ壊れているのはやはり怖かったね。つーか、震度7の時は、ハードは機能しなくなって、被災地の状況はわからなくなるんだよな。
で、熊本に帰省すると、全然報道の状況が違ったり、すごい温度差があったり。
表面的に傷跡は消えたように見えるけど、神戸の衰退といい、災害復興として考えると、阪神大震災は大失敗事例だと思う。特に、災害後に区画整理・強靭化とか言っていると、復興の機会を逃す可能性が高いんじゃなかろうか…
[災害]阪神大震災から20年…孤独死1000人超す - 社会ニュース : nikkansports.com
年寄りをよそに動かすと、本当にもろいんだよな。慣れ親しんだ環境の重要性。中越地震では、ある程度その教訓が活かされていたが、東日本大震災では被災規模の大きさもあって、教訓が活かせなかった感じが。
[災害]被災地経済、停滞の20年 復興政策「失敗」の指摘も (神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
指摘もというか、完全に失敗だろう。
企業も二重ローンで苦しむか。「創造的復興」とか、実際には、復旧ができないからのおためごかしなんだよな。
結局、長田区は人口減りっぱなし、しかも、住民はほとんど入れ替わっているという状況だし。再開発ビルなんかも、結局金ばかりかかって、商売は復活できていないし。
神戸といい、大阪といい、輸出向け軽工業が主体の街だったから、ただでさえ90年代あたりは苦しかっただろうしな。
[災害]NHK NEWS WEB 人口から見た神戸の復興とは
「戦略的」ねえ。人間を人間と見ていないというか、土建的市政というか。
結局、高齢者を追い出して、元の場所に戻せなかった。西部で人口がほとんど入れ替わったというのは、完全な失敗。「街をつくり変えれば自然と震災前の水準に戻っていく」って…
[災害]プラチナゲームズ神谷英樹さんの阪神淡路大震災体験談 - Togetterまとめ
外にいると、被災地中心部の被害が分からないんだよな。前の晩、マクガイバー見て、夜更かしして、3時間くらい寝たところで、地震でたたき起こされた。目が覚めてから、そのあとしばらくして本震が来たから、最初にガツンと来たのだろうな。で、ベッドの上から動けないまま、揺れが収まるのを待った。まあ、京都だと、震度4以下だったわけだが。私の部屋も、台所の洗剤が落っこちた程度。で、明け方まで、テレビに張り付いて、揺れは大きいけど、被害は意外と少なさそうだと思って、寝なおした。
で、10時か11時頃おきて、実家に電話をかけたら、神戸がすごいことになっているよといわれて、テレビをつけて、絶句した。
[災害]@nied_inok さんの阪神淡路大震災の被災状況 - Togetterまとめ
家具の固定大事。地盤大事。あと、木造住宅は一階がぺっちゃんこになっている家が多かったなあ。鉄筋コンクリのビルも中層がつぶれていたのがちらほら。
あれから20年。震災の時の我が家の記録。 - 日なたと木陰
そういえば、京都に居る間は枕元に靴を常備していたな。今はやっていないのが、危機意識の低下を如実に表しているというか。そもそも、本棚を固定しないと、本に埋まって死ぬ危険が。金とスペースがない…