宝賀寿男・桃山堂『豊臣秀吉の系図学:近江、鉄、渡来人をめぐって』

豊臣秀吉の系図学 近江、鉄、渡来人をめぐって

豊臣秀吉の系図学 近江、鉄、渡来人をめぐって

 系図研究の専門家による、秀吉とその親族の系図史料の研究。本書を読んで思うのは、系図史料って使いたくないなと…
 本書では、近代に入って編纂された『諸系譜』に収録された「太閤母公系」という史料使っているけど、どこまで信用できるのであろうか。編者の鈴木真年らが、どのような史料を参照したかが明らかにならないと、とっても利用できる気がしない。そもそも、その家で編纂された系図も、先祖を源平藤橘に結びつけたり、信用できないところがあるしな。非常に難しい。
 本書では、さまざまな系図の比較検討や地誌などに収録された伝承などを元に、秀吉の出自が、金生山周辺に存在した鍛冶・製鉄集団にあるのではないかと指摘する。秀吉の先祖や、後に天下人として台頭する途中で家臣団の中枢を占めた加藤清正、青木秀以、竹中重治浅野長政らが、美濃を中心に存在し、また鍛冶、陶工、大工などの職能民に関連する伝承が散見される。金生山の鉄鉱石を基盤に発展した製鉄集団を支配する人々のネットワークが、秀吉の台頭に影響したのではないかと言うのは興味深い。また、そのネットワークは、関ヶ原から国境をはさんで、近江の浅井氏領国に広がり、信長の浅井氏攻略に関わる調略活動に資したのではないかという。古代の大和盆地の渡来人から、近江の草野鍛冶、そして金生山や越後へ拡散した製鉄技術のつながり。
 しかし、本書を見て印象的なのは、秀吉周辺の先祖の系譜がすごくあやふやなこと。仮にも天下人なのに。細川忠興が、先祖に興味がないと言っているように、この時期に、系譜が意味を持たなくなったというのはありそうだけど。織田信長豊臣秀吉の時代に、地域に根ざした武士たちが一気に滅び、織田・豊臣家臣が大名として支配者になる。さらにお、居住地も急激に移動する。このような状況の中で、むしろ武功をたてて、出世することが大事で、出自は二義的なものになったのだろうか。徳川家も、その出自はそれほどはっきりしていないしな。そうなれば、祖父の代あたりまではともかく、それ以前はよく分からなくなるだろうし。で、世間が安定してくる17世紀半ば以降あたりに、奉公の基準が「由緒」となって、改めて系譜を整理、検討するようになるということだろうか。