新見志郎『水中兵器:誕生間もない機雷、魚雷、水雷艇、潜水艦への一考察』

 19世紀後半、出現したばかりの水雷兵器が実用的な兵器になるまでの試行錯誤。そのプラットフォームとなる水雷艇や潜水艦の発展史。兵器として使えるようになるには、必要なところで爆発する、必要な場所まで運べることが必要。防御的兵器として機雷は比較的早く普及しているが、攻撃的兵器として敵艦に当てて撃沈するには、19世紀の初頭ロバート・フルトンの失敗から始まって、結局、実用的な兵器となるには1世紀かかっている。
 水雷兵器の発展における、南北戦争での試行錯誤の重要性。防御兵器としての機雷の地位の確立。確実に作動させるには、いろいろと制約があったが、それでも装甲艦を複数撃沈し、敵の行動を制約することはできている。一方で、攻撃的兵器としては円材水雷(スパー・トーピード)が出現した。要は、棒の先に水雷をつけて、それを敵艦の下に差し込み、爆発させて、撃沈する。ほとんどヤケクソの自爆兵器だよなあ。それでも、撃沈の戦果もあるようだが。
 1870年には、曳航する水雷にオッターボードをつけ、針路の横に出させる、牽曳水雷も考案されているが、これは実用にならなかった。
 現在の魚雷につながる、自走式水雷は1865年にホワイトヘッドが製作したものが最初で、圧縮空気でピストンを動かすものだった。しかし、水中でまっすぐに進ませることや深度を一定に保つことが困難で、一定の成果をあげるのは日清戦争の威海衛襲撃まで、30年ほどかかることになる。その間、誘導式の魚雷や外部動力によってワイヤを巻き上げる、はずみ車を動力に利用するなどの試みが行なわれた。ソナーも存在しない当時、魚雷を誘導するには、水上になんらかの印をつける必要があって、魚雷の長所を殺してしまうものであったという。誘導も大変なんだな。また、断熱膨張による温度低下に対処するため、空気を暖める熱走魚雷が開発され、射程が急速に伸びることになった。
 後半は、魚雷のプラットフォームとしての水雷艇や潜水艦の発達史。これらの艦種がモノになる前の話。水雷艇駆逐艦が出現する直前。水雷衝角艦や水雷巡洋艦が、機能しえずに消えていく。一方、威海衛で始めて装甲艦を撃沈し、魚雷の可能性を示す。とはいえ、威海衛では、水雷艇座礁したり、発射位置につけても魚雷が発射管から出て来ないなんてことが多くて、兵器としての不安定さは否めない。
 潜水艦の発達史も興味深い。南北戦争における人力潜水艦を使った装甲艦攻撃とか。もう涙がちょちょぎれるとしか言いようがない。その後、1880年代にノルデンフェルトやフランスの潜水艦が実用性を示し始める。しかし、フランスが建造した潜水艦は蒸気機関推進で、限界があった。やっと、19世紀の最後に、ガソリンエンジンと電動モーターを併用するホランド型の潜水艦が登場し、現在の潜水艦につながることになる。最終的にディーゼルエンジンを得て、第一次世界大戦Uボートの活躍にいたる。しかし、内殻と外殻の間にバラストタンクをつくるなどの基本的アイデアは、ずいぶん早く現われていたんだな。それを活かす動力を得るのに時間がかかったと。