中村順昭『地方官人たちの古代史:律令国家を支えた人びと』

 律令国家の地方支配をになった郡司層がどんな存在だったかを追った本。地域を以前から支配していた豪族を、その支配を維持したまま、制度に取り込み、地域の支配と納税を委任した。そして、豪族層は、さまざまなネットワークを駆使して、財力を蓄え、中央の貴族と関係を取り結んだ。また、国家は、郡司たちの財力を利用し、戦争の兵糧の輸送や建築活動を行なわせ、
 見返りに位階を授けた。郡の成り立ちの話も興味深い。国造、伴造、県稲置といった、朝廷との関係が異なる、さまざまな立場の人が地方を支配していた。それを、対外的な緊張状況の中で一元化する試みが、評から郡にいたる制度導入の理由だったという。また、評と郡の違いが、軍事的な権限の有無の違いという。評では軍事的な権限が含まれるが、郡では軍事は軍団に分離されていると指摘する。
 しかし、正倉院文書がなければ、歴史のかなたに消えていた情報がいかに多かったか。造東大寺司の主典だった安都雄足が授受した文書によって、中央からは見えない、地域の有力者のさまざまな活動が浮き彫りになる。越前の東大寺領荘園をめぐる文書からは、開発・経営が地域の郡司や有力者層によってになわれていた姿が明らかになる。近江の石山寺造営費用をめぐって明らかになった横領の話も興味深い。造東大寺史の史生麻柄又万呂と愛智郡司が結託して、租税を横領。税の米を投資して、利殖を行なおうとしたが、失敗して取り立てられることになったと著者は推測している。現在でも、会社の金を横領して、株に投資して失敗したなんてのは良くあるし、人間の行動は変わらないなあという感じ。一方で、史生などの立場の下級官人が、仲介役としてさまざまな経済活動に絡んでいたことも、推測されて、非常におもしろいと思った。
 古代に関しては、資料の欠如から、これ以上具体的状況を明らかにするのは難しいと思うが、一方では郡司を勤めるような立場の豪族が、具体的に中央の貴族とどのような関係を取り結んだのか。また、在地の社会構造の中で、郡司や豪族たちが、人々とどのような関係を取り結んでいたのか。両方の面で情報が欲しいな。前者に関しては、木簡の発掘と解読が進めば、情報は蓄積されていくだろう。後者に関しては、地域の定住の構造や土地の利用状況などを、考古学的な情報を面的に集積して、GISなどで処理することから、新たな知見が出てくるかもと期待している。


 以下、メモ:

 また、浮浪・逃亡が生じるもう一つの大きな要因として、戸籍の偽り(偽籍)があった。調庸や雑徭は成年男子にかかるので、その負担を逃れるために男を女と偽って戸籍に登録することが広まった。平安時代の延喜二年(九〇二)の阿波国戸籍や延喜八年の周防国戸籍が一部残っているが、そこに記載されたのは大半が女性であり、しかも老人が多く、とても現実を記したとは思えないものである。戸籍が形骸化していたことを示している。このような偽籍は八世紀からしだいに行なわれていったものと考えねばならない。男を女と偽って戸籍に載せていて、厳しい調査が行なわれた場合、戸籍に載っている女が実際には存在しないのであるから、その女は逃亡人となる。また村々には戸籍に載っていない男が存在する。戸籍に載っていないので、浮浪人となる。神亀三年(七二六)の山背(山城)国計帳(計帳は租税徴収のために毎年作成される名簿)には女の逃亡人が多く見られ、租税負担が重くないはずの女がなぜ逃亡したのかについて、さまざまに議論されているが、その多くは偽籍のためであると私は考えている。浮浪人には男が多く、逃亡人には女が多くなるのである。そして取り締まりが緩やかな時期には、口分田が支給されないが租税の負担もなく普通に村に暮らしている男も、厳しく調べられると浮浪人とされてしまう。浮浪人とは、必ずしも他所からの流れ者ではなかったのである。p.15-6

 偽籍と浮浪人・逃亡人のからくり。なるほどなあ。

 その中には干菜帳、鶏帳など、具体的な記載内容は不明だが、かなり細かいことまで報告しているような帳簿がある。報告書を出しているのだから、蔬菜類や鶏について、国府で管理もしていて、その記録も作られていたのだろう。p.152

 どこまで、管理されていたのだろうな。単純に、公的施設の管理下にあるものだけ記載したのか、蔬菜類や鶏に関して社会全体の情報が掌握されていたのか。