クジラとともに生きる: アラスカ先住民の現在 (フィールドワーク選書 3)
- 作者: 岸上伸啓
- 出版社/メーカー: 臨川書店
- 発売日: 2014/05/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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また、現在の捕鯨が、さまざまなグローバルな影響関係のもとで営まれているもので、将来的には、継続ができなくなる可能性が紹介されている。北極圏の油田開発で先住民に支払われる補償金が、先住民会社を通じて、「株主」に配分される。また、バロー村は、行政の中心地として、行政関係やサービス業などを通じて比較的現金収入の機会が多い。これらの現金収入を投じて、捕鯨は行なわれている。船やスノーモービル、貯蔵施設などの設備に800万円以上の初期投資、さらに毎年ガソリンや食糧、消耗品などで150-250万円の出費を必要とする。本書は、石油の値下がり前の状況を描いているが、ここしばらくの原油価格の暴落は、先住民の捕鯨活動にも影響しそう。現在は捕鯨活動が維持されているが、温暖化による海氷の状態の変化や油田開発・北西航路の開拓による環境汚染、イヌピアットの現金による消費生活への移行による嗜好の変化、国際的な反捕鯨政治活動によって、今後継続が脅かされる可能性が高いという。
特に、先住民の世代交代による嗜好の変化は、捕鯨の先行きに危険な影響を与えそうな気がする。食生活の主柱としての地位を失えば、経済的利益と引き換えに、捕鯨の停止という事態を承諾する可能性もありうるわけだし。あと、これに関連して、祝宴などでのクジラの食べ方も興味深いな。むかし、植村直己の北極での活動の本で、イヌイットが生ないし茹でた程度で肉を食べていたというのを読んだ記憶があるが、それを思い起こさせる。捕獲祝いのニギプカイ、ウミアック陸揚げの祝宴アプガウティ、捕鯨祭ナルカタック、感謝祭やクリスマスなどの機会に、肉が振舞われ、かつ食べ切れなかった分は持ち帰って消費される。スープや煮た肉、冷凍肉、あるいはミキガックという発酵肉が食され、あまり手の込んだ料理はないのだなというのが、正直な印象。
あと、人とクジラの関係もおもしろい。クジラが、高潔な人間の下に、自分を捧げに来るという考え方は、北方の狩猟民族で広く共有されていそうな気がする。
バロー村の村人は、反捕鯨団体を嫌っており、その猜疑の目は観光客など訪問者にも向けられている。私が調査をはじめて間もない春のある日、村の中を散策していると、ある捕鯨集団の人びとが祭りに提供するための鯨肉をさばいている場面に出くわした。数名の観光客とおぼしき人が「写真を撮ってもよいか」と尋ねたが、捕鯨キャプテンは「この肉を食べることができたら許可しよう」と返事した。結局、彼らは写真を撮らぬまま去っていった。このやり方でキャプテンは見知らぬ訪問客が捕鯨に反対しているかどうか、見極めていたのである。何でもかんでも質問する私もまた、彼らにとって当初は、不審者だった。しかし、彼らの前で鯨肉をおいしそうに食べて見せると、写真撮影が許可されたという体験をしたことがある。p.179
反捕鯨団体、どこでも嫌がらせしているんだな。