清水潔『殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』

 いや、なんというかめまいがするほど酷いな。「過ちを認めない」ということが、いかに人間を腐らせるか。桶川のストーカー殺人事件では、事件の構図を捻じ曲げ、被害者を中傷する。足利太田連続幼女誘拐殺人事件では、明らかに一連の事件なのに、「真犯人」の逮捕に動かず、シリアルキラーを野放しにしている。どちらも、警察の存在意義を、自ら否定する行為だよなあ。歴史認識の問題にもつながるが、人間がやることには過ちがつきもので、それを無理やり糊塗するは危険。
 しかし、記者が二週間でたどり着いた「ルパン」に、多くの人員と法的武器をもつ警察がたどり着けず、結局、関係ない菅谷さんが逮捕されたのは何故なんだろうな。菅谷さんの冤罪を証明し、無罪を勝ち取るところまでは、痛快に読めたが、その後の警察のあまりにあんまりな動きには、本当に腹立たしい。ここまでくると、警察もほとんど犯人の逃亡を助ける共犯だよな。新たに犠牲者を生む可能性もあるわけだし。
 足で稼ぎ、傷ついた被害者遺族の信用を得て、情報を蓄積していく姿が印象的。あと、事件報道において、マスコミが一方の当事者である警察検察からの情報に依存し、容易に情報操作を受けてしまう姿。プレスリリースを右から左に流すだけなら、正直、機械でいいんじゃないかね。


 本書を読むと、DNA型鑑定の当てにならなさが印象に残る。
 現在の最新型の技術でも、コンタミや試料の状態の良し悪しに左右される不安定さがある。単独で、有力な証拠とするには、不安が付きまとう。むしろ、「こいつは犯人でない」と容疑者を減らす程度にしか使えない。
 さらに、当時のDNA型鑑定技術が、あやふやを通り越して、全く当てにならないことが、足利事件飯塚事件の再検証を通して明らかになってくる。こんな、あやふやなもので死刑判決を出し、実際に執行してしまうとは、信じがたいレベル。少なくとも、当時使われた「123塩基ラダーマーカー」を使った「MCT118」法の鑑定は、全部再検証する必要があるんじゃなかろうか。足利事件飯塚事件の両方で、「18-24」型が出ているってことは、材料か、当時の科学警察研究所の技術的特性か、あるいは鑑定をやった人のDNAが混入しているか、なんらかのバイアスがかかる状況だったんじゃなかろうか。


 警察の再検証と犯人逮捕を拒むかたくなさはどこから来るんだろうな。
 警察庁から、捜査一課長だった山本博一を送り込んだという、政治的なプレッシャー。これが暴走を生んだ可能性は高い。さらに、足利・飯塚両事件を「実績」として、DNA型鑑定の本格的導入を図り、予算を確保したこともある。警察の上層部が、過ちを認めにくい環境ではあるが、正直不可解。
 警察が守りたいのは「DNA型鑑定絶対の神話」と指摘するが、そのために、ここまでやるのかねと。まあ、飯塚・足利両事件でのDNA型鑑定のいい加減さを考えると、問題を認めたら最後、DNA型鑑定が証拠として扱われなくなる危惧はあるかもしれないが。


 以下、メモ:

 だいたい、再検証もロクにできないような方法を科学的とか呼ぶな。果てのない議論にイライラしながら私は思う。科学というのは実験結果の再現が可能だからこそ全世界に広まった学問だ。適切な手順さえ守れば誰がやろうが同じ結果になるのが科学ではないか。長年にわたって再鑑定を拒み続け、試料は常温放置で劣化するに任せたというのでは、最新科学で追試しようにもご覧の体たらくではないか。本田教授も鈴木教授も気の毒だ。p.232

 いや、そうなんだよな。再検証・再鑑定が可能な状況にあってこそ、「科学」と名乗れる。誰がやっても同じ結果が出るところまでは、求めないけど。
 飯塚事件の試料使いきりといい、科学鑑定があきれる無茶苦茶さだよな。

 風間議員はこれまでにMCT118法によるDNA型鑑定が犯罪捜査や有罪立証で使われた数を尋ねた。岡崎国務大臣は一九八九年からの十五年間で科警研一二一件、科捜研二〇件の計一四一件が実施されたと答えた。
 有罪立証については、小川副大臣が「八人の有罪確定事件の判決理由で述べられた」と答弁した。つまり、最低でも八人がMCT118法により有罪にされたということだ。p.257

 これ、全部再検証する必要があるんじゃないかな。

 そして「DNA型鑑定の落とし穴」という項にはこう書かれていた。
〈犯人のDNA型さえ割り出せれば、すぐに事件が解決するように考えるのは、大きな間違いなのである。(中略)DNA型鑑定は、操作を補佐する役割しか担えない。ここを間違えると、いつかとんでもないことが起こる……。私はそう危惧している〉(傍点筆者。『血痕は語る』時事通信社)。
 私には、この一文には痛々しい響きが伴っているように思えてならない。
 私が連想したのは「書き残す」という行為だった。警察庁職員という立場であり、科学捜査のエキスパートという立場にある人物が、DNA型鑑定は補佐的な役割しか担えないとはっきり書き記していた。DNA型鑑定はあくまで参考であり、殺人事件の証拠の主柱にはなり得ないのだと。p.323

 もう、「とんでもないこと」が起きてますがな。
 とりあえず、『血痕は語る」という本は要チェック。