講演会「ツワモノぞろい!小西行長家臣団列伝」

 本日の主目的。小西行長再評価を目指す講演会シリーズ、「よみがえる小西行長公」の第10弾。といっても、私は始めて聴きに行くわけだが。今回のテーマは、タイトル通り、小西行長の家臣団のお話。行長家臣団の幹部をどういう人々が占めたかと言った話。
 そもそも、小西行長関連の史料が、散逸して、断片的な状況のため、全容を示すことが出来るような状況ではないと。行長家臣団の中核には、行長の弟たちが加わっているが、そもそも、行長の兄弟が何人いるのかもよく分かっていない状況というのが。講演では、小西主殿助、小西次郎四郎、小西与七郎、小西隼人、小西ルイスあたりが紹介されるが、主殿助・四郎次郎、与七郎・隼人は重複している臭いなあ。各地の大名に出された書状の署名とイエズス会の記録がメインになるのが苦しいところ。
 行長家臣団の中核は、小西行長の弟たちや従兄弟、叔父などの直近の親族。続いて、畿内キリスト教団の中核を占めた人々。商人出身者や織豊政権畿内進出で没落した在地領主層出身者が多く、行長自身より年長者のため、即戦力として重要だったと。ネットで調べると、このあたりの人々は、小西家との血縁関係もあるようだ。これに加えて、肥後入国以前の所領である小豆島出身者で、行長の目にとまったもの。これに、肥後入国後に、佐々成政の旧臣を吸収して構成されていると。中下級クラスや在地との直接折衝をやるような立場の人間は、主に佐々旧臣なんだろうな。
 堺の商人/武士の家に生まれただけに、瀬戸内海東部の商人や海運関係者、港湾なんかに人脈があって、それが秀吉政権の物資輸送を差配する立場に行長をつかせたんだろうな。小豆島に所領が与えられたというのが象徴的だが。外交を任せられているあたり、交渉力は高かったのだろう。


 講演会後に、「熊本城おもてなし武将隊」の小西行長スペシャルゲストで登場。どんなことになるかと思ったが、なかなか楽しかった。なんというか、メタな感じがいいね。蘇った本人という「設定」と本人の齟齬が。講演の演者であった鳥津先生のツッコミがきつくて、笑う。いじられまくりだったな。
 行長に「猛将」ってイメージは正直なかったなあ…