「マヤの都市作り 多様な集団で:日米などのチームが遺跡調査」『朝日新聞』15/4/2

 中米グアテマラにある古代マヤ文明の遺跡を調べる日米、グアテマラなどの研究チームは、文明発祥当時、定住と非定住の住民が共同で公共建築物や広場を作ったとする研究結果を米科学アカデミー紀要電子版に発表した。「多様な集団の共同作業で都市へ発展し、文明が築かれた」としている。
 チームは、紀元前1000年ごろに公共祭祀建築物が作られたとみられるセイバル遺跡で、住居跡や土器を調査した。土器の形式や地層、放射性炭素による年代測定で、土器が出土したものの住居跡が発掘されない場所があった。簡単な住まいで移動しながら生活する集団と、定住した住民がいたと考えられるという。
 文明初期とみられる紀元前1000年には、公共の広場や祭祀建築物が作られている。多くの労働力が必要と思われ、共同で作業し公共の祭祀が行われ、社会的なつながりができていったと見られる。
 チームの青山和夫・茨城大教授は「文明の初期段階の形成過程が明らかになった。文明の起源、形成を知る上でも重要な発見だ」と話している。   (神田明美

 古代マヤの都市が形成される状況を調査。土器などの生活痕はあるけど、住居跡が検出されない区画があって、そこから非定住民の存在を示唆すると。
 しかし、この記事にある情報だけからすると、非定住者がどのように都市建設や文明形成にかかわったか、わからないなあ。かといって、原著を読むのも…