講演会「人吉球磨の仏像」

 「本遺産認定記念 ほとけの里と相良の名宝─人吉球磨の歴史と美─」の講演会、二つ目。今回は文化庁の主任文化財調査官、奥健夫氏によるもの。彫刻の専門家が、どこに注目して、仏像などの年代決定や編年を作っているかがわかる、ある意味ものすごくマニアックな講演だった。横側や後側から見たプロポーション、細部の造型などから、その仏像の特性を把握していく。前から見た姿は、その当時流行の様式を取り入れるが、見えにくい横や後は、仏師の手馴れた技法が、出てきやすいと。
 概観としては、院政期の仏像が集中的に残っていること。須恵氏や平河氏などの在地有力者の仏教信仰を背景に、造像活動が盛んに行われたこと。密教浄土教の仏像が少なく、一方で毘沙門天を初めとする天王像が多い。また、球磨地域のその土地で作られたことがわかる仏像が存在していること。中央の作と地方の作が並存していることなど。
 紹介される作例としては、中山観音堂観音菩薩像、荒茂毘沙門堂二天王像・毘沙門像、荒田観音堂釈迦如来像、個人蔵釈迦如来像、阿蘇釈迦堂釈迦如来像・二天王像などが取り上げられる。全体に、その時代の作例より古様の作品が多く、また荒茂毘沙門堂、荒田観音堂釈迦如来像、個人蔵の釈迦如来像などでは、様式や細かい特徴が共通するものが多く、在地での継続的な像造活動が考えられる。
 中山観音堂観音菩薩像は、10世紀初頭の作例と推定されている。しかし、その個々の特徴を示す他の作例は、9世紀前半までさかのぼるものが多く、中山観音堂の作品に先行するプロトタイプが存在して、それを写したのではないかという指摘も興味深い。また、この作品は、北九州一円の仏像と似ていながら、一方で独自性も強いという。
 阿蘇釈迦堂の二天王像は、荒茂の二天王像や毘沙門天像に強い影響を与えているが、両者の態度はずいぶん違っていて、浅く浮き彫り調と深く身体性が強いという特徴があると。
 興味深かったが、まとめようとすると、なんか難しいな。