関雄二編『古代文明アンデスと西アジア:神殿と権力の生成』

 うーん、おもしろかったけど、自分の中で消化できていない。読むのに時間かけすぎたのも影響しているのだろうけど。
 ペルーのコトシュ遺跡で発見された、定期的に神殿を造り替える「神殿更新」という慣行。これを手がかりに、恒常的な階層差が存在しない比較的平等な社会から、王や神官といった支配階層が出現する「複雑社会」への展開を考察した、一般向けには少し敷居高めな選書。タイトルにある通り、メソポタミアアナトリアの初期の神殿建築と集落の展開との比較が試みられている。農耕以前、あるいは階層差のない社会で、様々な人の自発的協力によって、神殿などの祭祀建築物が構築されるというのは、三内丸山や東北の縄文時代の祭祀遺構やストーンヘンジあたりも射程に入りそうな議論だな。
 従来の文明論が、経済的な基盤を重視したのに対し、「支配階層」という継続的・制度的な階層が、どのような手段を通じて、継承される権力を造りあげたのか。神殿更新という継続的な「儀礼」を操作することによって、世代を超えて継承される権力が生成されていく。こういう動的な社会理解はおもしろい。その分、難しいけど。
 エイジェンシー論、ギデンズやブルデューの実践論・社会構造化論などを使っての「モデル化」重視ってのは、南米のフィールドで、アメリカの考古学界と日常的に付き合っていればこそって感じ。日本国内をフィールドとする考古学者だと、もっと素朴というか、編年とかそっち重視と感じる。


 前半は、西アジア。第一章が、東南アナトリアにおける9000年前頃の集落遺構において、他の建物から突出した規模の神殿建築が建設されていたこと。それは、複数回にわたって、建て替えを経ていたこと。比較的階層差のない社会で、かつ、農耕に頼らない狩猟採集民の社会で、それが達成されたと指摘する。まあ、農耕の揺籃となった場所では、麦の野生種が生えていたわけだから、それに適した環境を作るというのは、農耕に近接した営為だとは思うが。
 第二章は、メソポタミアにおける複雑社会の形成。大型の公共建築物の建設が、階層的な支配層の形成に先行していた南メソポタミア。北メソポタミアにおける交易を通じた権力の形成。


 三章以降は、アンデス地域の発掘調査から見えてくる、複雑社会の生成。
 神殿を破棄し、跡地で宴会を開き、新たに神殿を建設する。その儀礼の「反復実践」の中で、世界観や技術の継承が行なわれた。また、反復実践といっても、そっくりそのまま繰り返されるのではなく、その度に独自の創意工夫が挿入される。表象の操作などを通じて、リーダーが自身と関係者を、社会的記憶に接続し、継続的な権力階層になりあがっていく。逆にそのような動きが起こらない集団。複雑に分岐することになる。人間と神殿建設行為の相互作用の結果、意図せず、社会の再編成を促すことになる。
 第三章は、編者による、総括的な議論。
 第四章は、カンパナユック・ルミ遺跡から検出されたゴミ捨て場遺構の発見から、このような神殿での廃棄行為の意味を探る。現代人の感覚だと、生ごみは処分しないと不衛生だし、そもそも臭くて不快となる。しかし、この遺跡を建設した人々にとって、儀礼で使われた祭具・食品の廃棄物を目につく場所におき続けるのは、儀礼の一環として重要なことであった。むしろ、儀礼の履歴としてディスプレイされ、社会的記憶をかたちづくる材料になったというのが興味深い。
 第五章は、ワカ・パルティーダ遺跡のレリーフ出土から始まって、図像を読み解き、表象の操作によって、「伝統」の中に自分たちの役割を挿入していく流れを描き出す。様々な図像を比較しての謎解きがおもしろい。「権力」を形成していく試行錯誤の一端が、動的に再構成されているのが非常におもしろい。


 以下、メモ:

 ここまでは、エイジェンシーなどといわなくとも従来の文明論的見方で説明ができる。エイジェンシー論が出てくるとすれば、それは、新たに出現したリーダーをリーダーたらしめている側面に目をやったときであろう。いったい、どのようにリーダーはその社会的地位を確保できたのか。この問いに答えるためには、リーダーがどのように努力したのかを明かすばかりでなく、リーダーをリーダーとして認めた他の人びとの意図まで追及する必要が出てくる。リーダーとそれ以外の人びととの相互作用、せめぎ合いの中でリーダー性が誕生するという見方とでもいおうか。p.32

 これができればすごくおもしろいんだけど、実際にやるとなると難しいんだよな。どのような史料を、どのように処理すればいいのか。特に、受け入れた人々の側の考えが。

 そうした中にあっても、ギョベックリ・テペ遺跡はやはりひときわ異彩を放っている。祭祀センターのような遺跡が新石器時代に存在するとは、まったく予想もされていなかったからである。しかし、本当の意味での衝撃はじつはもう少し別のところにある。それは、ギョベックリ・テペ遺跡では農耕・牧畜を営んでいた証拠が認められないことである。植物資料の残りはあまりよくないが、検出されたコムギ、オオムギ、マメ類はいずれも形態的には「野生型」であり、「栽培型」と認定できる植物は見つかっていない。ピスタチオやアーモンドといった野生の木の実も認められ、これらも食糧として重要な役割を果たしていたと考えられる。動物ではガゼルが最も多いが、ウシ、ヒツジ、ヤギ、イノシシ属についても家畜化の証拠は認められず、狩猟によって得られた野生動物であったことが明らかになっている。つまり、ギョベックリ・テペ遺跡は狩猟採集民によって造営されたと考えられるのである。
 狩猟採集民というと遊動的で小規模な集団がイメージされるかもしれないが、西アジアでは終末期旧石器時代から新石器時代の初頭に、ある程度の規模の集団が定住集落を形成していたことが明らかになっている。私たち筑波大学の調査団が、南東アナトリアティグリス川流域で調査しているハッサンケイフ・ホユック遺跡も、そうした遺跡の一つである。そこからは石の壁をもつ半地下式の円形遺構がいくつも検出され、人為的な堆積は一〇メートル近くに及び、一〇〇基以上の埋葬址のほか、重量のある石皿類も多数検出されている。これらはいずれも定住生活が送られていたことの証拠となるものであるが、出土した動植物はすべて野生のものであった。さらに、集落の中からは公共建造物と考えられる遺構も検出されている。ギョベックリ・テペ遺跡を造営した狩猟採集民は、普段はおそらくこのような定住集落に居住していたと思われる。p.83

 一万年から9000年ほど前の、狩猟採集民による定住と大規模な祭祀遺跡の建設。まあ、三内丸山なんかを見ると、そういう定住型狩猟採集民と、彼らによる大規模な建設行為はそれほど不思議でもないと感じるけど。北アメリカ北西部のインディアンも定住生活を営んでいたわけだし。

 興味深いのは、先土器新石器時代のB期の後半になって、農耕・牧畜を基盤とした社会が確立されると、むしろ集落の規模は縮小し、整然としていた集落構造が崩れ、公共建造物も姿を消してしまうことである。その過程はチャヨニュ遺跡においてもたどることができ、先土器新石器時代の最終期になると(「大部屋建物期」)、公共建造物は見あたらなくなり、広場ももはや維持されなくなってしまう。もちろん、この時期にはギョベックリ・テペ遺跡に匹敵するような祭祀センターも確認されていない。それまでの社会を統括していた原理が失われてしまったかのように見えるこうした現象は、「新石器時代の崩壊」とも呼ばれている。p.85

 へえ。おもしろい。農業の開始で、むしろ社会の複雑さは後退しているように見えると。

 イギリスの社会学アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)の見方も参考になる。人間の実践は所与の条件の中で位置づけられ、組み立てられており、その条件を仮に構造と呼ぶならば、実践はこの構造に引きずられながら、反復的に再生産されていくという。しかし、ギデンズも、ブルデュー同様に、構造が自動的、機械的に同一の実践を生み出すわけではないとする。ギデンズは、この再生産における実践のゆれを再帰的という、具体例として、欧米社会の結婚生活をあげている。そこでは高い離婚率というデータが無意識的にせよ構造として人びとの実践に作用するが、だからといって誰もが同じ反応をし、同じ行為を選ぶわけではない。結婚相手の選択に慎重になったり、結婚という法的縛りを避けたりするなど多様な実践が生み出される。その点で再帰的だというのである。いずれにせよ構造と実践は、どちらがどちらかに一方的に作用するのではなく、相互に作用すると考える立場である。その意味で、ギデンズは構造より構造化に関心を寄せていることがわかる。考古学にこうした実践論、社会構造化論をもちこめば、遺構や出土遺跡の分析を通じてどのようなハビトゥスや構造が存在し、その中でどのような実践がなされたのかを問うことになろう。p.143

 メモ。

 私たちの日常においても神社仏閣という聖なる空間で頒布された護符や破魔矢、熊手などモノは聖性を帯びる。だから不要になっても自宅のゴミ箱に捨てることは憚られる。再度神社仏閣を訪れ、納札所に返却するか、境内で燃やされる。聖なるモノの処理には必要な手続きがあり、私たちはそうした行為にいちいち疑問を抱かず繰り返す。家族の間でその宗教観は共有され、また次世代に受け継がれていく。アンデスの場合、それが神殿更新の場で生じたのだが、実はそのパターンすらも伊勢神宮出雲大社遷宮春日大社の造替などを想起させる点で決して特殊とはいえない。p.145

 では、そのライフヒストリーを具体的にどのように論じたらよいのだろうか。ここで重要なのが「儀礼的廃棄」の概念である。ウォーカーは、儀礼で用いられたものがどのように捨てられるかをさまざまな民族誌データを用いて検討し、儀礼で使われたモノ、儀礼の際に出たゴミを廃棄する際に特定の手続きが存在することを明らかにした。さまざまな宗教において、聖なるものが使い古された形で廃棄されるとき、他のゴミとは異なる形で廃棄される必要がある。たとえば彼が調査したカトリックの教会では、聖餐式で用いられた杯が使用ののちに割れた場合は、礼拝室隣の、人が通らない庭に埋められなければならなかった。またかつては清掃に使った聖水を捨てる際には通常の公共の下水道を用いず、聖水所と呼ばれる流しを通じて教会の下に位置する聖所に流されたという。このような事例の背後には、モノは儀礼を通じて宗教的、あるいは超自然的な力を充填されるが、その充填された力はモノ自体が壊れて本来の役割を果たさなくなっても残ってしまうという考え方がある。使い古された儀礼具などは、長年の使用によって力を充填されているためそのまま捨てるのは危険であり、また聖性を汚すことになるというわけである。日本における「お焚き上げ」「人形供養」などもこのような脈絡で捉えることができるだろう。考古学データとの関わりで考えるのであれば、儀礼で用いられたものは当時の人びとが適切であると考えるやり方、つまり儀礼的に廃棄されて考古学者の前に現れるということができる。したがって、儀礼的廃棄の概念は、儀礼で使われたモノが廃棄されるまでのライフヒストリーを考えることの重要性をわれわれに教えてくれるのである。p.190-1

 メモ。儀礼的廃棄。

 クントゥル・ワシでは、遠く北のエクアドル沖合いの暖流が育む貝類や、数千キロ離れた南のボリビアからもたらされた方ソーダ石など、ワカロマからは検出されない奢侈品が報告されているのである。もちろん直接、遠隔地からもたらされたと考えずともよいが、入手の困難な財を手にするためのネットワークをもっていたことは間違いない。こうしたネットワークの統御こそ、クントゥル・ワシのリーダーらの権力基盤であったといえよう。p.157

 遠隔地交易の社会的重要性。権力を生むものとしての奢侈品交易。こういうのが大好きなんだよな。

 当然ながら、有翼巨人が仲介者としてはじめて描かれたのがいつどこでなのか、それを特定することは難しい。各地の資料を見比べた結果、ネペーニャ谷周辺の海岸地方で、形成期前期か中期のことではないかと、いまのところ筆者は推測している。ともかく、ワカ・パルティーダ遺跡で確認したような神殿建築や壁画の更新を考慮すると、有翼巨人が三層の世界観に挿入される機会は、形成期中期までに各地で幾度もあったといえる。おそらくは数十年おきに繰り返された神殿更新や、もっと頻繁に行なわれた壁画の更新に際して、新しいアイデアが導入されるのはなんら珍しいことではなかった。既存の世界観を維持・尊重しつつ、そこにちょっとした追加・変更がなされるだけである。しかしひとたびその人物が外壁に描かれれば、異なる世界を仲介する能力は広く地域住民に対して顕示されることになる。かつては儀礼のときのみ、参加者のみ示された能力が、いつでも、遠くからでも認識できる形で、そこに表現されている。
 形成期を通じて、宗教的指導者の地位上昇が生じていたことは、多くの研究者が指摘するところである。一方その地位上昇の手段やプロセスについては、これまでさまざまな仮説が提起されてきたし、実際のところもおそらく個々の事例によって異なるのだろう。その一つが、ワカ・パルティーダ壁画群の分析から見えてきた世界観の修正であった。p.233-4

 表象を操作することによって、自己の地位を高めていくプロセスか。


 文献メモ:
大貫良夫他『古代アンデス:神殿から始まる文明』朝日新聞出版、2010
筑波大学西アジア文明研究センター編『西アジア文明学への招待』悠書館、2014
マイケル・マン『ソーシャルパワー:社会的な〈力〉の世界歴史:1』NTT出版、2002
アンソニー・ギデンズ『社会理論の現代像:デュルケム、ウェーバー、解釈学、エスノメソドロジーみすず書房、1986
アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?:モダニティの帰結』而立書房、1993
アンソニー・ギデンズ『社会の構成』勁草書房、2015
ピエール・ブルデュ『実践感覚 上』みすず書房、1975
Binford,L.R.,Archeology as Anthropology.American Antiquity 28(2)、217-225、1962
Joyce,R.A.,Unintended Consequences? Monumentality as a Novel Experience in Formative Mesoamerica. Journal of Archaeological Method and Theory 11[1]:5-29,2004
Waker,W.H.,Ceremonial Trash?, in J.M.Skibo, W.H.Walker and A.E.Nielsen eds., Expanding Archaeology, pp.67-79, Salt Lake City: University of Utah Press, 1995