大塚柳太郎『ヒトはこうして増えてきた:20万年の人口変遷史』

ヒトはこうして増えてきた: 20万年の人口変遷史 (新潮選書)

ヒトはこうして増えてきた: 20万年の人口変遷史 (新潮選書)

 生態学系の人類学者による、人類の人口の歴史。ヒト、ホモ・サピエンスが生息環境を広げ、また生息環境を改変して、数を増やしてきた歴史を追う。おもしろかったけど、盛りだくさんで、頭の中で整理できていないな。
 特に、近世以降の構成が気になった。生態的にも、ユーラシアとアメリカの経済的統合以降は、別立てのトピックにすべきだったのではないだろうか。古代末、中世と二度の人口循環を経たのち、三度目の人口循環が発生しなかったのは、アメリカ大陸をユーラシア経済に組み込み、「コロンブスの交換」によるアメリカ大陸産農作物の導入、人口の移転が効果を発揮していると言えるだろうし。あと、20世紀に入ってからの人口の動きも、統計データに頼りすぎて、生態的な観点がうまく生きていないように見えるのがもったいなく感じる。
 あと、先に読んだ『人類大移動』と比べると、全体的に年代が古く比定されているのも、興味深い。このあたり、どの数字を取るかは、著者によって、差が出てくるものなのだろうけど。『人類大移動』が、数値に非常に慎重な態度をとっている側面もあるのだろう。


 第一章は、アフリカにおいて人類が、サバンナという環境に適応していく流れ。ホモ・サピエンス以前に、直立歩行、道具の使用、食料の加熱などの手段によって、生態的ニッチを確保していく。ただ、個体数としては、この時期の人類はそれほど成功していた生き物とは言い難いような。続いて、狩猟採集民としての人類の特性。食糧供給の安定化の戦略、性的分業、社会性。核家族を複数集めた50人くらいの「バンド」というのは、人間社会の原型と言えるのだろうな。チンパンジーの群れのサイズと同じくらいというのがおもしろい。
 出生パターンから、比較的初産年齢が高く、生涯出産数は平均5人弱、そして、生後一年間に25%、10歳までに半数が死亡する。前近代の社会の姿を想像しようとすると、10歳児の平均余命を使ったほうが、わかりやすいのではないかと思う。潜在的には、0.2%程度の人口上昇率が見込めると。マグレブ・タイプの生命表ニューギニアのギデラ人の出生や余命の研究は、ちょっと興味あるな。


 第二章は、「出アフリカ」とホモ・サピエンスの地球全域への拡散。
 火を使った植生の改変、大型動物の絶滅などの過適応の問題も同時に紹介される。阿蘇でも、1万年前から、野焼きで人為的に草原を維持してたらしいが、ほんとうに人間は草原の生き物なんだなと。


 第三章は農耕と定住。貯蔵に適した野生植物が大量に存在する場所で、定住生活が始まり、人間の生物への働きかけから、栽培種や家畜が登場する。西アジアの麦、中国の米、東南アジアの根菜などのドメスティケーションが行なわれ、各地に拡散する。また、動物をドメスティケーションし、家畜化する。
 同時に、高地に順応したり、家畜飼育を生業の主体にした乾燥地への進出、船による島嶼への進出などが紹介される。
 あとは、労働生産性と土地生産性の話など。


 第四章は歴史時代。文明の出現と人口の増加。ここらあたりになると、著者の専門から外れるせいか、あまりフィールドでの研究からの議論は行なわれなくなる。そもそも、文明化がどのように人口増加に貢献したのかわからないところが。確かに、文明の出現以降、人口は増加しているわけだが。「古代文明の中心地を取り巻く広域が社会経済的なユニットになり、その全体で人口が増加したのです」(p.138)といっても、具体的に何が起きたのだろうか。
 西アジアからインド、中国へとつながる「コア・ユーラシア」における巨大都市の出現。巨大帝国の興亡。1世紀から6世紀あたりまでの1回目、中世の10世紀から14世紀あたりまでの2回目と、二度の人口循環の発生。ここらあたりで、人類が生態的な限界に突き当たっていたとは言えそうだよなあ。農耕開始以降、増え続けていた人口が、停滞する場面も出てくる。
 アメリカ大陸のユーラシア経済圏への組み込みと人口のアメリカ大陸への大量移動。


 第五章は、18世紀後半以降。現代につながる「人口転換」の時代に。死亡率の低下から始まり、続いて出生率の低下も起き、少産少死へと社会の人口構造が変化していく。ヨーロッパで最初に発生し、徐々に世界全体で同じような状況が起きていると。20世紀に入って、近代的な公衆衛生が導入され、アジア・アフリカ・南米では、より急速に人口転換が起こっていると。まあ、近代の社会だと、子供は高コストだしな。死ななくなれば、それほど大量に産む必要もなくなる。
 アフリカも含めて、全世界で人口転換が起こりつつあるというのが興味深い。妊娠中絶に否定的なカトリック圏やイスラム圏でも、出生数は減りつつあるのか。宗教に関係なく、避妊の動きは起こっていると。


 終章は、今後の動向について。増加率は低下しつつも、増加は続く。そして、一人当たりの資源消費も増加し、生態系への負荷は増大する。資源と環境の二つで、人類文明は隘路にあるよなあ。
 現在は増加しているインドなどの国でも、急速に少子高齢化へと変化していく。一方で、サハラ以南のアフリカでは、増加の勢いは低下しつつも、増加が続き、世界人口に占めるシェアも拡大していくことになる。そもそも、サハラ以南のアフリカって、環境的に人口支持力が低いわけだから、今後もアフリカの人口問題は深刻になる一方と。アフリカから他の地域への人口の移動が急速に起きそうだな。ムスリムのテロが一段落したあとは、アフリカ系の人々のテロが問題になりそうな気がする…


 以下、メモ:

 サバンナでは、強い直射日光を浴びることになります。体毛を減らしたヒトは、皮膚の表面近くにメラニンという色素を大量にもつようになり、暑さへの対応として薄い汗を大量に出すエクリン腺という汗腺を発達させました。もう一つ重要なのは、サバンナでは食物を見つけるためにも長距離の移動が必要なことです。二足歩行は、瞬発的な高速の移動には適さないとしても、エネルギー消費量が少なくてすむので長距離の移動に適しているのです。p.21

 サバンナへの適応。汗も、二足歩行も、サバンナに適していると。

 ヒトの出産数の増加を引き起こした要因として、出産間隔の短縮とともに初産年齢の低下も指摘されてきました。身体特性と妊娠との関係を研究したアメリカの栄養学者ローズ・フリッシュは、初経(初潮)年齢は暦年齢よりも皮下脂肪層の厚さなどとよく相関することを見出しているます。栄養状態がよくなると、初経(初潮)年齢が低下するのです。p.55

 へえ。先進国で初潮年齢が下がるのも、当然のことなのか。

 定住生活が早くはじまったメソポタミアでは、狩猟採集生活を送っていた人びとが、豊富な野生動植物を比較的狭い場所から入手していたようです。西秋良宏らの日本とフランスを中心とする国際チームの長年の発掘調査によると、定住がはじまった一万三〇〇〇年くらい前は、地球規模で温暖化が進み野生動植物が豊富になった時期だったのです。恵まれた状況で人口が増加し、その結果、食物の必要量が増えたのでしょう。定住を促したのは食用とする野生むぎ類の種子を貯蔵することで、この時期の遺跡から穀倉とみられる建造物も発見されています。また、人びとが野生食用植物の生育への関心を高め、日光をあたりやすくするするための除草や、植物の種や根の移植をはじめたと考えられます。p.87

 採集生活が定住の基盤になったと。野生植物への長年の働きかけが、農耕につながった。

 一方、北アメリカ大陸の中央南部で種子植物が栽培されていたことが、遺伝子解析を行なった考古学者のブルース・スミスにより、一九八九年の『サイエンス』誌に発表されました。その研究によると、ミシシッピー川中流域のイースタン・ウッドランドで、三〇〇〇年くらい前にヒマワリやアカザ科種子植物の栽培種が発見されたのです。ただし、これらの栽培はトウモロコシが伝播されるとすぐに消滅したようです。ニューギニア島高地とおなじように、かつて独自の農耕が発明された地域でも、生産性の高い作物がもたらされると、痕跡も残らないほど変容してしまうようです。p.107

 独自栽培種のヒマワリの種か。どんな味だったのだろう。

 おもしろいことに、アンデス高地の人びととチベット高地の人びとでは、低酸素への適応機序が異なっています。アンデス高地民は酸素を運ぶ血中ヘモグロビン濃度が高く、チベット高地民は血流量が多くなるように血管が拡張しているのです。機序が異なるとはいえ、それぞれの集団が獲得した生理学的な機序は遺伝し世代を越えて伝えられています。興味深いのは、ヒトが皮膚表面で感知する寒冷には住居や防寒具などにより文化的に適応したのに対し、身体の深部における酸素供給には生物学的に適応したことです。ヒトは優れた酸素供給能を獲得したことで、高地をアネクメーネからエクメーネに変えたともいえるでしょう。p.113

 へえ。それぞれ独自に進化したってことだな。

 エンジェルによると、農耕がはじまっていなかった一万年以上前の旧石器時代には、平均成人死亡年齢が男性で三三歳、女性で二九歳でした。それが、農耕に依存するようになった五〇〇〇年ほど前には、男性で三四歳、女性で三〇歳に、さらに四〇〇〇年ほど前には男性で三七歳、女性で三一歳に延長したのです。死亡年齢が延びた要因としてエンジェルが注目したのは、骨に残る事故や外傷の痕跡が減少したことで、遊動的な生活から定着した生活への移行が大きく影響したのです。エンジェルは、紀元二世紀のローマ帝国の住民や、紀元一四〇〇年ころと一七五〇年ころのローマ地域の住民でも、平均成人死亡年齢が男性で三八〜四〇歳、女性で三一〜三七歳の範囲にあることをも見出し、四〇〇〇年前からそれほど変化しなかったと指摘しています。p.139

 意外と短い人生だったのだな。

 ペストの起源については、アイルランドの細菌学者マーク・アフトマンをリーダーとする国際チームが、二〇一〇年の『ネイチャー・ジェネティックス』誌に論文を発表しました。彼らは、世界で広くみられる一七株のペスト菌のDNAと、ヨーロッパ各地の墓地に埋葬されていたペスト患者の骨から抽出したDNAを分析した結果、ペスト菌は二六〇〇年以上前に中国南部に出現し、二〇〇〇年も経過した一四世紀にシルクロード経由で中東・ヨーロッパにもたらされたと結論付けました。当時はシルクロードモンゴル帝国支配下にあり、シルクロードを往来する東西交易が活気を呈していたときだったのです。p.175

 メモ。