- 作者: 下山治久
- 出版社/メーカー: 有隣堂
- 発売日: 1999/07/01
- メディア: 新書
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北条早雲が、備中伊勢氏の出自で、室町幕府の政所執事を務める京都伊勢氏当主の姻戚でもあったこと。この関係から、自身も室町将軍の申次衆として、幕府の要職についた。今川氏の取次を勤めたため、関係も深く、妹の北川殿は、今川義忠と結婚し、今川氏は親戚の関係にあった。家格としても、足利氏の一門である今川氏とつりあうものであったという。
駿河下向、伊豆・相模の制圧も、京都の政界の動向と密接に関連した行動であったことが紹介される。細川政元の秘密指令の下、扇谷上杉家の勢力伸長を阻むべく、今川家の家督相続問題に介入。今川氏親の家督相続を支援する。また、伊豆・相模侵攻も、細川政元らに擁立されて足利義澄が将軍になった、明応の政変に連動したものだった。将軍義澄の実弟への復仇と山内上杉氏の討伐を目的としてのもの。その後も、細川政元のバックアップや今川氏の援助があったようだ。
伊勢=北条家の家臣団も、備中時代からの家臣、室町幕府の申次衆の同僚の子息、今川氏配下で早雲に従った人々、伊豆・相模の在地勢力で早い段階で早雲の征服に従った者が、中核になったようだ。早雲時代からの古参家臣は、その後も特別扱いで、裁判などでも有利だったという。
氏綱の時代の鶴岡八幡宮の再建事業が、関東全体に影響力を及ぼすテコとなったこと。戦乱と災害で荒れた相模や伊豆の社会再建への期待が、北条家の拡大に重要であったこと。庶務を担う重臣たちなどについても、取り上げられている。