富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館『研究紀要 第三号』2008

 見ての通りの研究紀要。三本掲載された論文中、前の二本だけ読んだ。群馬県だけに、養蚕関係の習俗関連。


伊藤克枝「猫絵の広まり:新田猫から猫の刷り物へ」
 猫絵の刷り物の性格を整理している。中世から、猫絵をかけるとネズミの活動が低調になるという信仰というか、習俗が禅寺などに存在し、新田岩松氏の猫絵や江戸の猫絵売りなど、広範囲にネズミ対策に猫の絵をかける習俗が存在した。さらに、富山売薬の宣伝用の刷り物として、近世から近代に、広く頒布された。
 その猫絵の、効能書きを整理すると、新田岩松氏の絵を「写した」と称するものと、弘法大使に結びつけたものが存在する。これは、前者が蚕をネズミから守る養蚕地域専用のものであり、後者が穀物倉庫を荒らさないようにする養蚕地帯以外向けと住み分けされていたようだ。また、さらにいろいろな護符的な機能が付加された猫絵が存在するという。


伊藤克枝「史料紹介:『養蚕由来記 全』」「翻刻 養蚕由来記 全」
 養蚕の由来伝承として、「金色姫譚」というのが存在するそうな。蚕の4回の脱皮と結び付けられたもので、天竺のお姫様が、継母に四度、死に瀕するような場所に捨てられ、生きて帰ったこと。最終的に船に乗せられて、海に流され、常陸に漂着。そこで死去し、その遺体が蚕になったという。
 この伝承は、手習い書として広く利用された『庭訓往来』に収録され、広く人口に膾炙した。本史料も、それを書写したものだという。