梅本弘『第二次大戦の隼のエース』

第二次大戦の隼のエース (オスプレイ軍用機シリーズ)

第二次大戦の隼のエース (オスプレイ軍用機シリーズ)

 大日本書籍オスプレイ社の本の翻訳シリーズ、大体はコストパフォーマンスが悪い傾向があるんだけど、これは満足のボリュームだな。前書きでも書かれているが、エースパイロットを扱った本というより、マレーシア、ビルマ、中国、ニューギニア、フィリピンなどの戦域単位で隼装備の部隊がいかに戦ったかを描いている。日本側とアメリカ側の記録を突き合わせて、確実な戦火がどのようなものであったかを明らかにしている。
 ビルマ、中国では、太平洋戦争中を通じて、連合軍機に対して健闘を続けている。スピットファイアやP-40あたりには互角かそれ以上の戦果を挙げている。特に、ハリケーンはお得意様だったようだ。一方、ニューギニアやフィリピンでは、高速のアメリカ戦闘機に対して、かなり不利だったようで、戦果を挙げつつ、出撃のたびにかなりの搭乗者を失っている状況。P-38、P-47あたりを相手にするのは、かなりきつかったようだ。P-51を相手にした場合には…
 戦闘機部隊の戦いを見ると、第二次世界大戦は航空撃滅戦の連続だったんだな。互いに、航空基地を爆撃しあう。そして、互いにかなりの消耗が続くと。日本軍は、負けがこむにつれ、相手の飛行場を攻撃する力がなくなり、さらには自軍の航空基地を守ることも難しくなり、地上で大量に戦闘機を破壊される状況となる。
 隼の機体構造が弱くて、急降下からの引き起こし時に、空中分解する機体が続出したこと。そのため、機動に制限を受けつづけた。あるいは、大戦後半には低速の隼は旧式化していたが、他の戦闘機が高速重武装アメリカの戦闘機と特徴がかぶり、より優速のアメリカ戦闘機に落とされたが、格闘戦に長けた隼は「落とせないが、落とされない」、生存率の高い航空機であった。武装が貧弱な隼が、重爆撃機にどう対したかも興味深い。正面から、対面で攻撃し、パイロットやエンジンに打撃を与えることで撃墜する。これによって、防御に優れたアメリカの重爆を多数撃墜している。
 部隊名、人名、地名と、固有名詞が多数出てくるので、ちゃんと読むなら、地図などに落として、整理するべきなんだろうな。特に、緒戦のマレー半島での航空撃滅戦などは、基地を急激に動かしながら、戦闘を繰り返している。これを、地図と時系列で整理できると、航空撃滅戦の動きが、かなり理解できるのではないだろうか。

 4日未明、戦闘機と九九襲撃機数機、双軽7機がレイテ島の米軍基地、タクロバン飛行場を攻撃した。米軍の記録によれば、沖に停泊していた輸送船が被害を受け、乗船していた第345爆撃航空群の要員100名以上が戦死、地上のP-38が2機破壊され、その他39機もが損傷している。この大戦果は司偵によって撮影され紙焼きが各戦隊に配られ将兵の士気を多いに高揚させた。10月26日、米軍がこの基地の使用をはじめたその日から日本陸海軍航空部隊はありとあらゆる手段を使って、この基地を攻撃していた。とくに隼は「タ」弾を搭載、少数機で夜間、未明に同基地への低空襲撃を繰り返して大きな戦果を挙げていた。米陸軍の第5航空軍は11月と12月、レイテで戦闘機200機を失っている。その大半が爆撃での損害であったとされている。p.106

 ここいらあたりが、以下に関連するのかな。「ネグロス島のファブリカ飛行場」から離陸しているそうだし。

比島決戦は空から見れば流れがよく解る。レイテ島に対する航空攻撃の拠点がネグロス島北部の飛行場群とセブ島だからルソン島湾上陸の前にミンドロ島を占領する必要がある。それで長い航空戦はほぼ終る。ルソン制圧支援よりネグロス島の孤立が目的
https://twitter.com/Kominebunzo/status/699718762975490048

ネグロス島バコロド地区に設定された陸軍飛行場群は当初「航空要塞」と呼ばれた複数の滑走路、複数の飛行場を組み合わせた航空決戦の基盤となるもので、その後「航空要塞」の名こそ廃されたものの機種別の発進基地を持つ基地群として最低限の完成度を持っていた。ソロモン諸島とはこの辺りが違った。
https://twitter.com/Kominebunzo/status/699962835657322500

比島決戦で隼部隊の中核となった31戦隊の9月から翌年3月迄の長い苦闘が綴られる中で、「レイテ上空の制空権を握った」と一度だけ書かれた時期がある。それは何と12月初頭だという。日本側としては「かなり追い詰めた」実感があったのだろう。
https://twitter.com/Kominebunzo/status/700676860317798400