【ブラタモリ】加藤清正は変態的防護マニア! 熊本城はやりすぎ巨大ダンジョンだった - Togetterまとめ

togetter.com
 やっと、熊本に来ましたな。
 そういう切り口で来るかといった感じ。ただ、そういうテーマでまとめるために、ちょっと無理をしているような気がする。
 とくに、城下町の惣構は、他でもあるものだし。


 そういえば、古町の、街区の中心に寺院を置いて、周りを町屋で隠すって、他の城下町にはないのか。そういえば、他所の城下町の古地図をじっくり眺めたことってないな。そもそも、城下町の縄張りで敵を防ぐ発想というのが、どこまで有効だったのだろうか。大体、真っ先に焼き討ち喰らうものだし…


 南側、石垣が楽しいとは思っていたが、あそこまで技巧を凝らしていたのは、考えなかったな。南側は、標高差があって、さらに坪井川が自然の堀になっているから、現実的な防御というよりは、そういうのを見せる側面もあったんじゃなかろうか。
 西側が比較的なだらかで、そっちが弱点になる。で、そちら側に何重もの縦深を形成しているところも注目点じゃなかろうか。西南戦争でも、薩摩軍の攻撃の正面は、西側の段山だったし。
 熊本城って、加藤時代と細川時代で、正面を変えたとか、そういう話を読んだことがある。


 つーか、小天守の下の石段とか、馬具櫓のところとか、普通は入れないところに入れているのがうらやましい。さすが、NHKの本気。あと、薩摩街道って、二の丸通ってたんだ。市立博物館のところとばっかり思っていたが。
 このルート通るの嫌さに、島津のお殿様は、途中から船に乗ってましたw


 あの、六回曲がるルート、通った憶えないなとおもったら、大体東に回っちゃうんだよな。あと、白いタヌキ怖かった。あんなのあったっけw