- 作者: 山内譲
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1997/06/01
- メディア: ハードカバー
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地理院地図を見ながら読むと、非常に楽しい。
本書は、毛利氏が勢力を伸ばし、織田氏と関係を持ち始めた時期を扱っている。それとは別に、村上水軍の海城って、いつごろ建設されたのだろうか。発掘調査をしてみると、いろいろと興味深いことがわかりそう。あと、小島を削って、回りの岩礁には穴を開けて、桟橋を設置って、往時には相当大きな施設だったってことだよなあ。
伊予鹿島城、周防上関城、備前本太城、備中笠岡城、塩飽諸島が取り上げられる。豊臣秀吉の勧誘に応じた来島村上氏へ、毛利側水軍が報復行動として攻撃を行い、安宅船の攻撃を受けた鹿島城。村上氏の関所から一族が在城する城へと変化した上関城。織豊政権が中国地方に進出してくる以前、毛利・織田枢軸に対し、大友・浦上・尼子・三好連合軍へと与した能島村上氏の動きに深く関わった本太城、毛利氏の拠点だった笠岡城、そして村上氏の影響を受けていた塩飽諸島。それぞれ、歴史の動きと関わっていて、おもしろい。そして、村上氏も、時に応じて、様々な勢力と結んだ。
第六章は、「海賊と関所」というタイトルで、時代をさかのぼった「海賊」のあり方を追う。「関」「関立」という用語が、室町時代には「海賊」と同義だったこと。遣明船の警固などに、海賊が動員されていたこと。地先の海域の通行料として、海賊が礼銭を取っていた状況から、広域に影響力を持つ海賊が、一回だけ礼銭を取って、各港での礼銭支払いを必要なくする警固料への変化。しかし、瀬戸内の海賊に関する史料が、本当に16世紀以降しか残っていないのだなと。
最後は、能島と来島の村上氏のその後。豊臣政権時代、能島の村上氏は瀬戸内海から追われ、さらに関ヶ原の合戦の結果、毛利氏の領土が縮小し、家臣団の解体・再編が求められる苦難の時代。一方で、豊臣大名となった来島村上氏改め、来島氏は、朝鮮半島への侵攻によって当主を失うなどの苦戦を強いられることに。一方、徳川時代に入ると、能島系の村上氏は、周防大島に所領を与えられ、毛利氏の御船手として海との関わりを維持する一方、来島氏は関ヶ原を乗り切るが、内陸の豊後森に移封され、海との関わりを断たれることとなる。