- 作者: 三浦正幸
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本
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一方で、戦国時代の城から話を起こしているのが、逆に、本の明快さを殺しているように思う。近世城郭の解説に特化したほうが良かったのではなかろうか。あとは、なんか、細かいところで攻撃的な筆致なのが、気に触る。例えば、近世軍学を「当てにならない」とか、「机上の学問」と非難するが、ならば無視すればいいものを、なんで執拗に取り上げるのだろうか。コラム一つで、切って捨てればいいんじゃなかろうか。あるいは、天守閣の復元に関しても、細かくチェックしているが、ほとんど想像の産物である静岡県高根城の復元事例とどっちがマシなのだろうか。井楼や礎石建物の基礎より上に関しては、ほとんど参照できる情報がなかったなかで、建物を「復元」したのが良心的と言えるのだろうか。
本書を見ると、細かく、技巧を凝らしてあるのが分かるけど、純軍事的には、これらの配慮はどこまで意味があったのだろうな。近世城郭で、まともに戦いを経験したものが数えるほどしかないし、その事例でも、本丸まで攻め込まれたのって島原の乱の原城くらいのものなんじゃないだろうか。アレを近世城郭といっていいのか、微妙だが。大阪城なんかも、冬の陣では惣構での戦いに終始しているし、夏の陣では篭城自体を放棄しているし。占位する地形で大半が決まってしまうような。
あと、近世城郭でも、発展段階があるんじゃなかろうか。現在見るような、何重にも防衛ラインがめぐらされているような近世城郭は、かなり後の段階の産物のように見える。千田嘉博『信長の城』を読むと、信長段階では、本丸のみが石垣作りで、防御の縦深はあまり重視されていない。小牧山城、岐阜城、安土城。岐阜城は、関ヶ原の戦いであっさりと落ちているし、安土城は本能寺の変後、あっさりと放棄されている。熊本城も、最初の段階では茶臼山の頂上付近に、本丸が作られて、その後、順次拡張されていく形態をとったとされる。
個人的に、一番おもしろかったのは、98、99ページのコラム「防弾壁をつくる」。土壁の間に、30センチほど石や瓦礫を詰め込んだ太鼓壁。あるいは、厚さ12センチの欅の板を核に、厚く土壁を塗る。さらに万全を期すなら、表面に鉄板を張る。その程度で、銃弾や砲弾が防げたのだな。日本に大口径の攻城砲がなかったこと、炸裂弾がなかったことが、この程度の防御で済んだ理由なんだろうな。幕末以降の四斤山砲や野砲を受けたら、どうなったんだろう。
西南戦争時の熊本城篭城戦では、外郭の防衛線で阻止されているわけだが。つーか、天守閣以下の主要建物が焼けて、なくなっていたわけだし。細かい設備が、19世紀後半の戦闘に、どの程度通用したのだろうか。
巻末に、国宝・重要文化財に指定された近世城郭が紹介されているが、熊本城では、かなりの部分が破損しているんだよなあ。そして、圧巻の姫路城。かなりの建物が生き残っているのだな。