「くまにち論壇:熊本県立大理事長五百旗頭真:熊本でも大地震への備えを」『熊日新聞』13/11/3

 「この地に大地震はない。警戒すべきは風水害である」。阪神・淡路大震災の前に関西でよく耳にした台詞である。この「常識」は無残に砕け散り、今では神戸だけでなく、大阪は上町断層、京都は花折断層が有力な大都市直下型活断層であり、遅かれ早かれ暴発するとの認識に百八十度転換している。それだけに熊本の地で同じ台詞を耳にする時、複雑な思いにとらわれる。確かにこの地は風水害の危険が大きい。
 昨年の7・12集中豪雨は阿蘇外輪山の内斜面をえぐり、少なくない犠牲者を出した。のみならず白川上流の阿蘇
山域だけでなく、中流域・熊本市の龍田地区でも氾濫が起こった。市中心部ではきわどく大洪水を免れたが、本当
にぎりぎりの持ちこたえであった。それだけに今、白川の下流から順次河川敷を広げる工事を急いでいるのは誠に適切である。
 ただ、下通など中心街が3メートル以上も水没する事態を招いた昭和28年水害クラスの集中豪雨が来れば、現在の河川敷工事が完成しても持ちこたえるのは難しい。地球温暖化の下で異常気象が頻発する状況を考えれば、60年前に経験した水準の豪雨が来ないと想定するのは、楽観的に過ぎるであろう。加藤清正肥後国づくりの中で、白川治水
は革命的前進を遂げたと言われるが、今なお暴れ川・白川の統御は熊本の安全にとって中心課題なのである。
 阪神・淡路大震災が起きた時、国道2号線がマヒして救援車も動けなくなった。並行線である山手幹線をもう少し早く完成していれば助かったのにと人々は嘆いた。東日本大震災が勃発すると、三陸海岸沿いの国道54号が寸断された。工事中の高速道路ができていれば迅速に救援できたのにと人々は天を仰いだ。双方とも大災害の後、工事を急ぐことになった。その点、昨年の7・12水害により国道57号が機能不全を呈したことは、結果として見ると、致命的大災害の前に、中災害によって警告を与えてくれたといえる。熊本県下では南北の幹線整備が進んでいるのに対し、東西幹線が脆弱である。県内の安全のためにも、九州広域安全のためにも、大分と延岡への東西幹線貫通を急がねばならない。
 水害を主として憂慮するこの地であるが、地震の心配はないのだろうか。そう考えるべきではないと思う。日本列島を二つの大陸プレートで切断するフォッサマグナについで大きな裂け目が中央構造線である。それは和歌山県紀の川から四国の吉野川を経て、九州の大分湾へと見事な東西直線をなして走っている。その西端に阿蘇山の大カルデラが乗っかって見えにくくしているが、宇土半島への西方向と八代への南方向に断層が分岐している。
 火山帯も阿蘇山から金峰山・島原への西方軸と、霧島・桜島へ向かう南方軸に分岐している。つまり、大きな地殼変動の活性帯にこの地が位置していると考えた方がよいのではないか。
 南海トラフなどの海洋プレートの動きに影響されて、内陸部の地震や噴火活動も活性化することが知られるに至った。歴史的にも関西と大分の地震中央構造線を介して連動したケースが指摘されている(寒川旭『地震の日本史』)。日本列島に災害から安全の地はないと心得て備えるべきであろう。
 思えば、災害への国民的認識は大きく変わった。関東大震災の前、東京大学地震学者、今村助教授が東京大震災を警告したところ、上司の大森教授から厳しく叱責された。予知など科学的にできないのに人心を不安に陥れるのは学者の逸脱だというわけである。阪神・淡路大震災まで、活断層の所在や危険な地盤を明言すれば、住民を不安にし地価を下げると難ぜられた。
 目隠しして見ないでいれば災害が来ないわけではない。自然現象はいずれにせよ起こるのだから、それを知り備えた方がよい。この認識の正常化とともに、もう一つ大事なことは、市民自身が主体的に加わらなければ災害への対処は効かないことの認識である。家屋倒壊により埋もれた人が生存救出される中で、その7、8割が家族近所の共助によることが、阪神・淡路の経験である。危険情報の公開と市民による対処法の共有こそが社会の安全にとって生命線なのである。



 布田川・日奈久断層帯の危険性は指摘できても、直下型地震でどうなるかまでは、五百旗頭さんも具体的に想像していた訳ではないようだが。危険性は指摘しても、その被害の内容までは言及されていないし。


 横の線どころか、縦の線である九州自動車道が普通に死んでしまったわけだが…
 震度7クラスを喰らうと、基本的にハードは死にまくると。その状態で、どう対応するかを考える必要がある。