小島道裕『洛中洛外図屏風:つくられた〈京都〉を読み解く』

 洛中洛外図に何が描かれているか、諸作品の比較を通じて、ここまで情報が出てくるというのが興味深い。
 前半6割は、豊臣政権による都市改造以前、室町時代の姿を残す京都の姿を描く。この、第一定型=初期洛中洛外図屏風は、4例ほどが知られている。これらの読み解きを中心に、洛中洛外図屏風の出現から発展を概観している。
 洛中洛外図屏風の最初は、越前朝倉氏が土佐光信に描かせ、三条西実隆の日記に記録された、便宜的に「朝倉本」と本書では書かれているもの。朝倉氏滅亡時に失われたのではないかと推測されている。都市景観への関心の高まりと、城下町が都市化してきたため、都市政策の参考資料としての二点が推測されている。
 現存する最古の作品は、「歴博甲本」とよばれるもの。ごく短期間しか使われなかった将軍邸「柳の御所」が描かれていること。将軍邸や細川邸に、身分の高い客人が訪れているらしい描写、細川高国が振興した犬追物などの描写から、細川高国足利義稙を擁立して政権を確立。三条家の息女を将軍の上臈として迎えるときに、その引き出物として披露するつもりであったのではないかと推測する。
 続いては、東博模本とよばれる作例が、後の模写だが、歴博甲本に続く内容を伝える。阿波守護家の晴元が、高国を追って政権を掌握。阿波細川家の関係者などが描きこまれている。
 つづいてが、上杉本。上杉家に伝えらたもの。上杉家に行った経緯がドラマチック。足利義輝が、上杉謙信が上洛して管領になることを期待して描かせたもの。その義輝は、殺害されてしまい、屏風は放置される。後に、上洛した織田信長が上杉家と関係改善のために、上杉家に贈って現在に至る。
 歴博乙本は、秀吉時代の1580年代に、描かれたもの。手がかりは無いが、政治的な関心度が低く、地方の有力者の妻女むけに描かれたのではないかとされる。
 初期洛中洛外図が、きわめて政治的な意味をもって描かれたことが示される。


 また、それぞれの扇ごとに季節が変わり、その時期の祭礼・年中行事が描かれる祭礼図の性格。人や店の描き方を比較することによって、時代ごとのファッションや商店のあり方の変遷が浮かび上がってくる。
 あるいは、限られた情報源から、狩野派による作成ではないか。さまざまな粉本を模写していることが多く、必ずしも描いた時点の現実を映しているわけではない。相国寺の塔の上からの景観を描いた絵があって、それを粉本として写していったのではないか。このような「元の絵」からの系譜関係では、一番古い歴博甲本よりも、上杉本のほうが古態をとどめているという指摘も興味深い。


 後半は、近世の展開。
 豊臣政権による京都改造によって、めまぐるしく変化していく京都。この時代には、聚楽第伏見城がメインだったり、行列図などが主に制作される。
 関ヶ原の合戦の後になると、徳川家と豊臣家の拮抗を示す二条城と大仏を並列させた作例や、徳川家の勝利を示す二条城への天皇行幸を描きこんだ「第二定型」とよばれる作例が製作される。江戸時代前期には、京都は文化の中心として、流行を生み出す地であった。そのため、関心が持たれ、洛中洛外図屏風が需要された。それに対し、複数の作例が残る、池田本系列のような、町絵師の工房生産品が出現する。
 しかし、寛永の二条城行幸以後は、京都の政治的・文化的地位が低下し、内容のアップデートが止まる。また、都市風俗に関しては風俗画が自立し、存在意義がいったんは消滅する。
 18世紀以降になると、町人や農村の上層階級で、嫁入り道具として、再興する。
 このような役割では、華やかであれば、内容の正確性は求められなくなり、先行作品を写したものがメインになる。寛永行幸の行列は、華やかさの演出として画面に残り続けるが、その意味は忘れ去られ、徐々に正確さが失われていく。むしろ、東国の風俗が、描きこまれるといった、需要者側によった細目に変わっていく。また、住吉具慶の工房などによって、量産される。
 政治的・ファッション的な意味を失った洛中洛外図は、名所絵としての機能を最後に残す。この目的から、京都の都市を省き、洛外の東山や北野をメインに描いた作品が出現してくる。洛外を広く取っていた初期の作品への回帰とも取れる動き。そして、名所案内の挿絵を写した不正確な内容。
 幕末には、京都の全景を描いた鳥瞰図が出現し、洛中洛外図スタイルは消滅していく。


 絵を詳細に読み解くと、ここまで読み取れるのだな。あと、ロングセラー商品の盛衰ともとれそうな。

 このころから発達した町人の「町」という自治的な共同体は、身分的には平等であることが重要なので、身分表象である服装や髪型も共通化する必要があった。そして、このころから、男性の髪型は、烏帽子を被らずに、月代を空けるものが普通になったため、伸びた髪の先を切ればよいというわけにはいかず、定期的な理髪が必要になってくる。このような事情から、各町ごとの床屋が必要になったことが理解でき、そのような、まだ目新しい風俗を、好んで絵に描いたものと考えられるのである。p.93-4

 新しい「身分」の出現。それにともなって、新たな風俗ができると。あと、16世紀の月代は、毛を抜いていたというのが。痛そう…