山本秀貴『旗本・御家人の就職事情』

旗本・御家人の就職事情 (歴史文化ライブラリー)

旗本・御家人の就職事情 (歴史文化ライブラリー)

 就職というか、江戸幕府の人事政策の変遷って感じの本。
 前半は全体的な流れや法制について。後半は具体例。人事制度の改革に貢献した森山孝盛、金山開発によって甲府勤番から脱出しようとした堀内氏有、そして闕所物奉行の手代の交代手続きの家格による違い。


 17世紀後半以降、綱吉・家宣・吉宗と、独自の家臣団を持っていた大名が将軍となり、家臣団が幕臣編入幕臣が大きく膨張した。それにもかかわらず、幕府の役職は増えず、無役の幕臣が増加した。登用制度が整備されず、縁故や金品による登用も行われていた。
 これを、旗本・譜代御家人・抱席御家人という風に幕臣の家格のランキングを行い、就ける役職を家格によって規制した。一方で、低い家格から、能力によるポストの昇進、さらに家格の上昇というルートは残し、低い家格の幕臣のやる気を失わせないように努めた。このような、人事制度の整備は、18世紀を通じて、断続的に行われた。
 吉宗時代には、昇進しても譜代にはならないという命令を出して、意欲が失われたので、享保7年に、譜代が就く職に就任し、「譜代同然」という申し渡しがあれば、譜代に家格が上昇するという形に変わった。その子の家重時代には、譜代の御家人が、抱席の者が就く役職に就任する「引き下げ勤め」の導入。家格の認定などが行われた。
 田沼時代には、幕府の利益になりそうな政策を上申・実施することで、昇進が行われた。しかし、一方で、個々の献策は、短期的な視野の、目立てば良い的なものが多く、長期的には失敗事例が多かった。松平定信の時代になって、処罰された青山喜内の無理やり、開発に適さない場所を「新田」とした事例が紹介される。いろいろと、放埓になっていたのは確かなのだろうな。次の松平定信は、人物重視の人事政策に回帰。その手段として、無役の幕臣が所属する小普請組を改革。また、「家格令」の導入など。


 後半は、具体的事例。
 松平定信の小普請組改革を、現場で主導した森山孝盛。自身がポストの獲得に苦労した経験から、より公平かつカネのかからない猟官運動の提案や小普請組内のローカルルールの改革の提言など。それも、人脈によってという側面があるのだが。あと、小普請組では組頭に就任すると、同僚に特定の店のもので宴会を開くローカルルールがあったとか、けっこうみんなの舌が確かという話とか。武芸の稽古をチェックするようにとか、事務負担の軽減といった試みも興味深い。
 続いては、詐欺として改易された堀内氏有の出世をめぐる試み。甲府勤番が、出世の望みが完全に絶たれた、「山流し」とされていたこと。ここから脱出するために、有氏は、湯之奥金山の開発に望みをかけた。しかし、同金山は、大きな産金量は望めないことから、金融による経営を試みた。しかし、それは、幕府財政を支える札差の権益に関わるため、最終的に切り捨てられることに。有効性があれば積極的に事業を行わせると同時に、問題が起きればあっさりと切り捨てる幕府人事のあり方。
 最後は、闕所物奉行手代の退任や後任任命手続きの違いから、譜代と抱席の、家格による処遇の差を明らかにする。抱席の身分では、奉行とその近辺の人々の権限で任命や選任が行われ、上司に承認を取ればよい。一方、譜代の御家人では、所属が小普請に移され、後任は小普請からの推薦ということで、選任が行われるので時間がかかる。また、抱席身分では、手代の仲間内の推薦で、だいたい血縁者が選任され、事実上の世襲のような形になっていた。あと、譜代身分だと、由緒が重要とか。この章を前に出せば、全体がわかりやすくなったのではなかろうか。具体的な手続きが紹介されるのと、されないのでは、イメージにだいぶ違いが出てくると思う。


 法制メインというのが壁なのかも知れないが、全体としていまいちピンと来ない。
 江戸幕府のポストと幕臣の家格に関する知識が欠けているため、どうにもイメージが。大まかに言えば、旗本は知行取り。で、御家人の譜代が足軽クラス、抱席が武家奉公人と理解すればいいのだろうか。
 旗本・御家人の社会で、「無役」の者はどう扱われたのか。あるいは、「抱席」クラスの御家人が、「家」として再生産されていたのか。旗本・御家人の社会に関する知識がないと、腑に落ちない感じが。
 ポロソポグラフィッシュな手法や個人史・人間関係といった視点からも、照射しないと、人事制度・政策ってのは、よくわからないのではなかろうか。あと、旗本身分方面があまり言及されていない感も。