田中三也『彩雲のかなたへ:海軍偵察隊戦記』

彩雲のかなたへ―海軍偵察隊戦記 (光人社NF文庫)

彩雲のかなたへ―海軍偵察隊戦記 (光人社NF文庫)

 昭和14年予科練に入隊し、偵察員として水上機、二式艦上偵察機、彩雲と乗り継いだ人物の回想。偵察員の訓練や、偵察隊がどのような活動をやっていたかがわかって興味深い。
 南太平洋海戦あたりまでは、偵察機接触を続けて、味方部隊を誘導するというのが可能だったのだな。フィリピン戦のころになると、高速で突っ込んで、写真を撮って、離脱するのが精一杯。それすらも危険という。レーダー技術の向上の早さが印象的。
 フィリピン戦の状況も凄まじい。レイテ島の偵察。さらに、ルソン島への米軍上陸後の、操縦者の脱出。このあたりは、『彗星夜襲隊』でも、出てきた話だな。こちらの人のほう、よりきつい行程を歩んでいるようだが。結局、ルソン東南部の航空部隊のことを語ることができる人々って、撤退命令を受けて、ルソンから脱出できた人々だけなんだよな。結局、基地に残留した地上勤務者は、1300人、1人も生き残らなかったというのが。
 あとは、特攻への複雑な思い。やはり、自殺攻撃は嫌だったと。しかし、いったん志願して、決めてしまうと、逆に、行かないと申し訳ない感じになるわけか。


 著者が生き延びたのは、先任下士官として部隊の統括を任されていたからというところが大きいのかもしれないな。先任下士官だし、探したら、他の戦記でも、名前が出てくるかも。
 著者自身が、安全な場所にいたとは決して言えないが。トラック島から、ツラギ・フィンシュハーヘン・アドミラルティー島の偵察とか、かなり生還率が低そうな任務だし。レイテ、リンガエン湾、沖縄と、危険な出撃を重ねている。意表をつくというのが、生きたのか。
 搭乗機のメインが、二式艦偵こと彗星なのが興味深い。影の薄い彗星だけど、偵察機としては大活躍なのだな。ただ、大戦末になると、どうしても速度が足りない状況だったようだ。


 著者は、戦後、自衛隊に入って、二等海佐で退職している。下士官から、敗戦をはさんで、最終的には中佐になっていると考えると、大出世だな。