磯田道史『歴史の読み解き方:江戸期日本の危機管理に学ぶ』

 雑誌に掲載したものをまとめたようだ。できるだけ古文書を読もうとしていると言っているように、言及される史料やトピックは、非常におもしろい。しかし、なんか議論のわきが甘いというか、深みにかける印象。中世の知識がないのがネックなのかも。
 つーか、一番目の「江戸の武士生活から考える」で引っかかって、読むのが後回しになってしまった。重い『中世京都と祇園祭』を先に読み終わるとは思わなかった。
 武士の組織論、甲賀忍者の話、江戸の治安文化、長州の意思決定やリテラシー、薩摩の郷中教育と熊本藩を初めとする詰め込み教育津波の話、司馬文学が参照した史料を読む話の計7章。
 「司馬遼太郎はどういう風に、シロウトをだましてきたのか?」(※褒め言葉) - Togetterまとめで、気になって借りてきた。


 最初は武士の組織論。なんか、微妙に論が甘いような気がするが。個々の話はおもしろいんだけど。濃尾平野で生まれた近世の武士団と他の戦国大名の領地に分散した武士の違い。これに関しては、私には知識がないんだけど、土地柄で決められたのかね。あと、散兵戦術に関しては、江戸幕府側でも幕府歩兵隊のように部分的に取り入れられていたし、彦根藩が後れすぎていたというのが正確なところだと思う。あと、ヨーロッパでも、完全に取り入れられていたわけではないと思うが。同時代の南北戦争では、銃火の中に行進していって、ものすごい死者を出しているわけだし。


 二番目は甲賀忍者のお話。尾張藩では書き残されているが、規律が厳しい藩では情報が残らない。侍帳に乗るような「表」の忍者と隠れている「裏」の忍者がある。甲賀の忍者は、全国ネットワークをもっていたけど、18世紀にはいる辺りで、そのネットワークが解体してしまっているとか。いろいろとおもしろい。通常の任務は、藩主の身辺警護で、参勤交代の間は、ずっと不寝番でものすごくきつかったとか。
 人をどう見るか、情報を得るかの真髄がおもしろい。


 三番目は、治安文化。
 中世のヒャッハーな日本人が、江戸時代の間に激烈に犯罪率を下げたという話。とはいっても、江戸末期には治安が悪化して、村を襲うヤクザ集団がいたとかいうけど。
 鉄砲が大量にあったにもかかわらず、人相手には使われないようになった。銃がものすごく厳しく管理された。治安維持には、それぞれの村や町の役人が担当していた。村の自警力を基盤にしたものだったこと。
 領主の裁判は非常に厳しいもので、裁判沙汰は忌避された。手続きを踏まないで、私的に処理する。このあたり、江戸の文化が現在まで影響しているように感じるな。人を殺さないといっても、そのあたり、かなりもみ消していたんじゃなかろうか。


 四番目は「長州の熱源」とのタイトルで長州のリテラシーや意思決定の話。
 長州の意思決定って、なんか、気持ち悪い。御前会議で意思決定が行われるのが、そもそも独特であると。藩主が「こうせよ」と言ったことが、対立を棚上げして、実行されるというのも、アレな感じが。
 長州藩が、GDPの計算ができるような形式で、生産力を記録していたこと。資産や収穫高だけではなく、投入量まで記載されていると。しかし、そういうのって、どこまで正確に報告されているのだろうか。正直に報告すると、課税強化につながりそうだけど。


 五番目は江戸時代の教育の話。詰め込み教育と議論中心の教育。会津と薩摩が対極にあると。しかし、詰め込み教育は、変革の時代には不利と。これが、熊本藩時習館から、広まったもので、佐賀藩も詰め込みだったと。まあ、佐賀藩はそれで、江戸末期にとんでもない工業藩になっていたわけだからなあ。
 一方で、薩摩では、書を読むのは程ほどで、それを基にした実践的な問答が教育の基盤にあったと。こういう場合にはどうする。「徳」とか、「忠義」なんかを、どう実践するか、具体的に話し合ったと。アメリカの教育みたいだな。で、幕末の難局に、道を誤らなかったと。ただ、個人単位だけに、官僚制を作り上げるときには不利だったみたいだな。


 六番目は、地震津波災害の話。
 江戸時代には、正確に記載しようと、さまざまな努力が払われた。天水桶が、地震計の代わりになっていたとか。町人クラスで、全国から情報を集めて、整理が行われていたとか。
 実際に、何が起きるかを検証して、対策をとるところで弱い日本人。新幹線の津波被災想定は、かなりご都合主義と。南海地震の時には、なかなか危険そうだな。つーか、地図を見ると、浜名湖の河口だけじゃなくて、静岡県のあちこちに津波に浸かりそうなところがあるしな。本当にでかい地震が来ると、脱線して、動けなくなっている可能性も高いし、その状況で津波に襲われたら、阿鼻叫喚の地獄だな。


 最後は司馬文学の話。典拠になった史料と、作品の記述を比較して、どのように加工しているか。現代語訳をしただけの場所と、かなり飛躍している場所があると。
 最近は、歴史における「個人」にあまり興味がなくなっているから、こういう個人に焦点を当てたものに、あまり興味がいかないんだけどね。


 以下、メモ:

 藩組織での意思決定にふれておきましょう。近世史の研究者である笠谷和比古氏が日本的な稟議書決裁式の意思決定は藩組織で生まれたとしています。事実そうでしょう。現場が起案して上に上げていき、上司の決裁をあおぐ。これは藩に生まれ明治の役所から日本の会社組織に導入されました。現場の専門家がその持ち場について起案します。日本人は専門家が好きでゼネラリストが少ない。現場や専門家に任せる風土があります。このタイプの意思決定は現場の判断で自然に仕事が動く点ではいいのです。しかし、誰が決定したのか責任の所在が不明確になります。そして、大抵、先例主義になります。p.28

 江戸時代に起源がある、組織文化。しかし、日本の組織が、「専門家」重視なのかね。

 木村奥之助は、忍者の世代交代に悩んでいました。忍者の世代交代というのも妙な話ですが、享保のころになると、これまで甲賀者が持っていた全国ネットワークは失われていったようです。享保といえば1720年代前後です。このころ甲賀忍者のうち70歳以上の古参の者は、まだ全国ネットワークを持っていました。他国の甲賀者と手紙のやり取りなどをしていて、いつどこで戦争が起きても、全国からの情報を取ることができたのです。ところが、木村はいいます。甲賀者のうちで70歳以下の者は、もう全国から情報をとることを怠るようになってきている。甲賀の未来が心配だ。p.66

 まあ、泰平の時代になって、一世紀も経てばな…

 この時代、南海トラフ地震に遭った人の叙述に共通するのは、「世界は終わりだと思った」と書いていることです。震度6とか7になったら、若い元気な男の子でも立つことさえできない。ものすごい恐怖です。p.183

 いや、これはほんとに。そもそも、何が起こっているのか理解するのに、数瞬かかって、そのときには揺れが強くなっている。まあ、東日本大震災の巨大地震と、熊本の直下型地震で差があるだろうけど。そういえ、南海地震、熊本もけっこう揺れるらしいけどな。震度5くらいは覚悟しておいたほうがいいらしい。