山本博文『天下人の一級史料:秀吉文書の真実』

天下人の一級史料―秀吉文書の真実

天下人の一級史料―秀吉文書の真実

 秀吉が発給した文書の直接調査から、秀吉政権の姿を明らかにしようとする。つーか、この時代の「法令」のゆるふわさがすごいな。刀狩り令や人払い令など、画期とされる政策が、実際には広く周知されているわけではないと。江戸時代の法令も、明確に○○法として出されたわけではないが、それは、中世でも同じと。
 古文書の学習者向けに、文書の写真、釈文、現代語訳が併記されている親切設計。返却期限が迫っているので、いくつかを流し読みしただけだけど、初見で読めるのは文字の3割くらいか。当然、それでは文書全体の意味が通らない。釈文をみながらだと、なるほどという感じだけど。


 全国法令になった命令でも、知らせる必要があると思った相手にしか文書として発給されないというのが、興味深いな。島津家や立花家の文書に残ったのは、肥後国一揆にともなってのもの、あるいは北条氏を倒したときには関東や東北で刀狩りが行われている。
 身分法制の話も興味深いな。百姓を土地に緊縛しようとする法令だが、それがどの程度、実効性を持っていたのだろうか。確かに人口が流失してしまうと、諸大名が軍備を維持する原資がなくなるのは確かだけど。奉公人の出奔と移籍を禁じる法令と一緒になっていることが多いあたり、諸大名の利害調整というか、衝突防止の側面が大きそう。
 キリシタン追放令が、伊勢神宮の要請によって出された「キリシタン大名による強制改宗防止」の法令という指摘。このあたり、神田千里『宗教で読む戦国時代』の内面的な信仰重視、世俗的な社会秩序との住み分けといった戦国時代の宗教像と重なる。攻撃的すぎて排除された。宣教師の追放命令の朱印状は直接、宣教師に渡され、松浦家や博多などに写しや関連命令が交付されていると。
 取次の話もおもしろい。戦国大名同士の外交交渉の担当を意味した取次ぎ。全国制覇以前には、服属した大名経由で、まだ服属していない大名との交渉を行わせた交渉ルート的なものであった。それが、豊臣政権下では「五奉行」の石田三成増田長盛のもとに集中され、大名統制手段となっていく。秀吉の命令を伝え、場合によってはそれを強制する。一方で、取次関係の大名が改易されないようにアドバイスしたり、庇護したりする関係と。伊達政宗浅野長政に送った絶交状がおもしろい。
 三成ら「五奉行」が自らを「年寄」と呼び、「五大老」を奉行と呼んでいた。一方、家康周辺では「五奉行」と呼んでいた。秀吉死後の豊臣政権内の暗闘が、呼び方にも現れていたというのは、最近は常識化してきつつあるが、きちんと研究しないと分からなかった事柄だよなあ。


 ラストは直江状の真偽。兼続でなくては書けなさそうな情報が書いてあって、後世の加筆があっても、基本は兼続のものではないかという話。