佐山二郎『日本陸軍の火砲:機関砲 要塞砲 続』

 シリーズ三冊目。対空機関砲と、要塞にすえつけられた榴弾砲臼砲を取り上げる。


 1930年代に入って、航空機の性能強化とともに、20ミリ級、37ミリ級の対空機関砲の整備が行なわれるようになる。1941年だから、陸軍の対空機関砲はギリギリ間に合ったということか。後継の二式20ミリは間に合わずと。で、ここでも、日本の火砲は軽量化が優先されている感じ。
 ラインメタルの37ミリ機関砲のライセンス生産ボフォースの40ミリのコピーは、結局、失敗している。

 既に組立を完了せるもの3門、十月半ばに組立を完了し得るもの5門あり。引き続き作業を継続しあるもバネ鋼の入手困難にして、整備完成は現在のところ見込み立たざる状況なりp.67

 バネ鋼の入手がネックになったというのが、日本の材料工学の弱さを示しているよなあ。藤井非三四『「レアメタル」の太平洋戦争』でも、指摘されていた話。


 後半は、攻城にも、防備にも運用された、要塞榴弾砲臼砲の話。カノン砲と比べると、活躍している感が。28センチ榴弾砲なんて、日露戦争第一次世界大戦第二次世界大戦とずっと前線に出ているのがすごい。旅順攻略戦が頂点なのだろうけど、第一次世界大戦の青島攻略でも、新式の方が故障続出のなか、これだけは打ち続けることができたというのが、印象的。
 あとは、45式24センチ榴弾砲や96式24センチ榴弾砲が、攻城砲の主力として整備され続けたと。カノン砲のメインが、15センチなのに対し、榴弾砲では24センチがメインになると。
 あとは、30センチ榴弾砲とか、41センチ榴弾砲といった怪獣みたいな大砲が作られ、実戦にも投入されていると。満州ソ連国境の虎頭要塞にすえつけられた41センチ砲は、シベリア鉄道の迂回路を吹っ飛ばすといった活躍はしているが、そのために莫大なリソースを投入して、割があったのやら。こういう巨大攻城砲は、ドイツの独壇場というわけではなかったと。


 臼砲も興味深い。これまた、明治の兵器である15センチ臼砲が、第二次世界大戦の攻城戦でコンクリの陣地撃破に活躍したとか。
 あと、半ばロケットみたいな98式臼砲も印象的だな。シンガポールでは、奇襲的使用で陣地を撃破するといった成果をあげているが、部品を取り違えて積み込むと組み立てられないとか、奇襲的効果が薄れると弱いとか。ロケット弾の方が使いやすそうではあるなあ…