日本陸軍の火砲 野砲 山砲―日本の陸戦兵器徹底研究 (光人社NF文庫)
- 作者: 佐山二郎
- 出版社/メーカー: 潮書房光人社
- 発売日: 2012/07/31
- メディア: 文庫
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戊辰戦争から西南戦争では四斤野山砲、日清戦争ではイタリア式の7センチ野山砲、日露戦争では三一式速射野山砲がメインとなった。三一式は、野砲がクルップからの輸入品で、山砲が国産。前者は、砲架の中に駐退機が入っているのだな。
同じくクルップ社に発注した三八式野砲は日露戦争に間に合わず、その後は、日本軍の野砲の中核を占め続けることになる。第二次世界大戦に投入された日本軍の火砲は、改造三八式、九〇式、九五式の三種の75ミリ野砲、九一式105ミリ榴弾砲、四一式、九四式山砲から成っている。昭和一桁代に開発された砲が、戦争に間に合った感じか。
しかし、明治時代に開発製造された砲が、第二次世界大戦でも主力を占めていたというのが、ちょっとしょぼい感が。まあ、日露戦争後に配備された砲が、なんだかんだ言って、20世紀に入ってからのものだから、使おうと思えば使えるレベルだったのかね。フランスは、M1897野砲を大量に使ったわけだし。
日本の火砲の参照対象の移り変わりも興味深い。明治中盤にはイタリアの技術を導入。明治末には、ドイツ、クルップ社の火砲を大量購入。第一次世界大戦あたりから、フランス、シュナイダー社の技術を導入。九一式10センチ榴弾砲は、シュナイダー社からの輸入品だし。
運動性と火力のせめぎあいというのが、日本軍の火砲のテーマではあるな。威力と軽量化を両立しようとして、どうしても、故障しやすくなる。九〇式野砲にしても、全体に華奢に見える。一方で、四一式山砲の項を見ると、日本軍は意外と火力戦志向ではあることもわかる。相手に優越する火力を求める。佐々木春隆本でも、山砲は活躍している。結局、欧米列強に対抗できるだけの質量をそろえることができなかった。そんな相手にけんかを売ったのが問題なわけで。
ヨーロッパで第一次世界大戦を経験した列強は、陣地破壊ができない75ミリ野砲を捨てて、105ミリに転換しつつあった。日本軍にしても、佐々木春隆『華中作戦』において、中国軍のトーチカに山砲で苦戦した描写があるが、火力不足の認識はあったのだろうか。まあ、あったとしても、より大型の砲を導入する余裕はなかったと思うが。