大森洋平『考証要集:秘伝!NHK時代考証資料』

 以前から、名前だけは知っていて気になっていた本。再開店直後のまるぶんで見かけたので買ってきた。買ってから、2-3ヶ月がたったかな。ちょこちょこ読んでいたのを、ここ数日で一気に最後まで。
 歴史を扱った番組を作る用の簡易事典みたいな本。50音順で様々な事項が整理される。言葉づかいや、軍事用語、近代の風俗、服飾など。
 熟語は、近代に入って作られたものや普及したものが多く、近世以前の口語には使わないほうが良いと。たとえあったとしても、文語というか、気取った言い方で、一般的なものではない。あと、江戸時代と中世で言葉づかいがけっこう違う。
 あるいは、戦国時代のキリシタンは、キリスト教関係の用語に関して、ラテン語ポルトガル語をそのまま使っていた。現在の日本語化されたキリスト教関連の言葉は、近代に改めて布教された際に、翻訳された用語なのだそうな。「洗礼」などの用語は、近代に入るまでなかったと。興味深い。戦国時代には、むしろ翻訳されないほうがありがたかったということなのだろうか。
 慣用句とされるものでも、近代に入って、ヨーロッパの諺を翻訳したものがけっこうあるのだな。「溺れる者は藁をもつかむ」や「二兎を追う者は一兎も得ず」など。


 大阪と大坂、おおさかとおおざかと、大阪には表記ゆれがあったというのが興味深い。そもそも、濁点の打ち方が一定でなかった。大阪がけっこう古くからあったとか。逆に、大坂・おおざかが根強く残ったとか。


 花火についても、江戸時代には赤系しかなかった。19世紀にはいる前は、筒から噴出す「乱玉」スタイルがメイン。現在のような「割物」は幕末になってから。明治二年に青い花火を見せられた日本人がパニックになったというエピソードがおもしろい。


 以下、メモ:

乳幼児用のお菓子で「衛生ボーロ」というのがあるが、この「衛生」は栄養の意味だろう。p.51-2

 へえ。衛生ボーロの「衛生」は栄養の意味と。
 「栄養」という語は、大正七年の造語で、それ以前は滋養とか、衛生とか、そういう語が使われていたと。

こっくりさんこっくりさん】 これは明治時代にアメリカから伝来したものだから、時代劇で用いてはいけない。p.127

 へえ。かなり早い段階でローカライズされたということなのかな。

下肥【しもごえ】 室町時代後期に明から伝わったらしい。p.148

 マジで!?
 そういえば、平安時代までは、垂れ流しで利用されている形跡はなかったわけだしな。しかし、意外と新しい時代にはいってからの「技術」だったわけだ。

姑の毒殺法【しゅうとめのどくさつほう】包丁の刃の左側にのみ致死性の毒を塗り(左利きの人は右側)、羊羹、カステラ、蒲鉾等を切る。すると、最初の一切れには毒がついていない。その一切れを自分が食べて「お義母さま、おいしいですわよ」と安心させ、毒がついた二切れ目をすすめる。余毒があれば三切れ目を小姑に食べさせる。このトリックはすでにローマ古典『ヒストリア・アウグスタ』中のマルクス・アウレリウス皇帝伝に載っている(『ローマ皇帝群像』京都大学学術出版会、第一巻、一六九頁)。p.151-2

 怖い…
 粗忽な人がやると、自滅しそうな手法でもある。

手錠【てじょう】警視長総務部装備課編『警察官制服のうつりかわり』(昭和五二年、一〇〇頁)によれば、警官が金属製の手錠を装備するようになるのは昭和二五年でGHQの指示による。これ以前の警察は金属製の手錠ではなく捕縄を使っていた。p.215

 へえへえへえ。

なお「電光」は火打石の火花のことで電気とは関係ない。p.220

 えっ
 電光石火って、雷関係の用語とばかり思っていた。火打石の火花のことなのか。だから、石火なわけね。なるほど。

とても【とても】 この言葉は大正末・昭和初期までは「とても〜ない」と否定形でのみ用いた。「とてもうれしい」「とてもきれい」等肯定的表現を、それ以前の時代劇で用いるのは間違い。「たいそう」「えらく」「それは」等とする。岡本綺堂芥川龍之介は「とても」の肯定的表現を×とても:○ひどく嫌った。p.229-230

 へえ。現在、「全然」がこういう方向で変化を遂げつつあるが、以前にも似たようなことがあったわけだ。

二丁拳銃【にちょうけんじゅう】回転弾倉式六連発拳銃(リボルバー)は一九世紀半ばに技術的には出来上がったが、初期のモデルは六発撃ってしまった後の弾の詰め替えに非常に手間がかかった(現代のリボルバーは迅速に出来る)。よって沢山撃ちまくる場合は二丁以上携行する必要があった。西部劇やジョン・ウー映画のように、必ずしも両手に一丁ずつ持って乱射するものではない。それはそれでかっこいいが。p.241

 へえ。二丁拳銃って、もともとは装弾数を増やす工夫だったわけね。戦闘中に弾込めは現実的でなかった時代の工夫と。そもそも、先込め式の拳銃の時代から、二丁セットで使うものだったという話もおもしろい。

 木曜時代劇考証北原進先生のご教示によれば、「○○藩」はたしかに公称としてないが、享保時代以前から教養ある武家の文献中では「家中」と同義で「藩」が結構使われていた。洒落たニュアンスの文人用語だったようである。p.258

 江戸時代の「藩」の用法。言葉としては存在したが、かなりマイナーな、仲間内で使う用語だったと。

 海事史家大内建二の『世にも恐ろしい船の話』(光人社NF文庫、二三二頁)によると、明治三三年に「船舶法取扱手続」第一条で「船舶の名前にはなるべく末尾に丸の文字をつけさせるように」となり、強制ではないが「〜丸」の船名定着のきっかけになった。p.270

 へえ、○○丸という船名は、行政手続きで誘導されたものだったのか。なんで、そんな誘導したのだろう。

マジ【まじ】「え、マジか?」といった言い方は江戸時代からあり、一八世紀末にはかなりはやったという。近代の俗語ではない(東京新聞朝刊、二〇〇三年三月二八日)。p.285

 マジで!?