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19世紀半ばまでは、壁にびっしりと絵をつり下げる方式だった。しかし、混雑が酷くなって、人気作品は、離して展示されるようになる。
そうなると、展示できない作品が出てきて、展示する作品としない作品を選ぶ学芸員という仕事が出現する。
また、離して展示することで、露出する壁の面積が増え、壁の色が重要になってくる。19世紀の感覚生理学では、赤系の色が、額縁の金や寒色の絵と調和するとされた。美術館の「白い壁」はナチス・ドイツの所産で、白が純粋な色とされたためだそうな。
最終的には、ニューヨーク近代美術館で、壁も天井も白くして、床は木、控えめな展示数で美術品を強調するという戦略が標準化されたと。
こういう展示の枠組みの変革が、作品に与えた影響も大きいのだろうな。