「夏目漱石の漢詩」碑

 夏目漱石の文学碑だと、俳句はよくあるけど、漢詩もあったんだ。
 熊本地震で崩壊したジェーンズ邸の敷地内。夏目漱石旧居の入り口前にある碑。1996年のくまもと漱石博にともなって建てられたものらしい。このときの記念碑は、他にもいくつか見かけたような。
 『熊本の文学碑』で存在は知っていたもの。
 しかし、漢文を写すのは手間がかかるな。主に、変換しにくい漢字が。変換できなかったのは□で代用。






石碑上段

夏目漱石漢詩


 菜花黄            菜花黄
  明治三十一年三月
菜花黄朝暾       菜花 朝暾に黄に
菜花黄夕陽       菜花 夕日に黄なり
菜花黄裏人       菜花 黄裏の人
晨昏喜欲狂       晨昏 喜びて狂わんと欲す
曠懐随雲雀       曠懐 雲雀に随い
沖融入彼蒼       沖融 彼の蒼に入る
縹緲近天都       縹緲として 天都に近く
迢逓凌塵郷       迢逓として 塵郷を凌ぐ
斯心不可道       斯の心 道う可からず
厥楽自□洋       厥の楽しみ 自ら□洋たり
恨未化為鳥       恨むらくは 未だ化して鳥と為り
啼尽菜花黄       菜花の黄を啼き尽くさざるを



石碑下段

  さい か こう
  菜  花 黄
 「菜花黄」は、漱石在熊の明治三十一年の作で、五
言古詩の漢詩である。この作品には、朝日や夕日を
浴びて黄金色に輝く菜の花の美しさと、その上空で
激しく啼き尽くす雲雀のさえずりに心奪われる詩情
が詠まれている。
 明治三十九年に発表された「草枕」でも、雲雀と菜
の花は、第一章の重要な景物として描かれている。
 春は眠くなる。猫は鼠を捕ることを忘れ、人間は
借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ
忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだとき
に眼がさめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありか
が判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、
魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもの
のうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉
快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。


  夏目漱石来熊100年記念事業
   96’くまもと漱石博推進100人委員会設置
              一九九六年十二月