- 作者: 河合正治
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2016/11/14
- メディア: 単行本
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父親、足利義教による恐怖政治路線による幕府権力の再建の試みが、嘉吉の変で本人が暗殺されることにより、破綻。さらに、後継に選ばれた兄が、夭折。いままで、後継候補としての期待されていなかった義政にお鉢が回ってくる。この弱体な将軍というのが、伏線になるのだろうな。
さらに、義教が守護権力を弱体化させるために、各家の内部対立を煽る。それが、弱体な将軍のもとで泥沼化。義政の治世を混乱させる、負の遺産となる。
しかし、この応仁の乱に至る時期、義政とその側近たる伊勢貞親の政治的なご都合主義はすごいけど、こういう意思決定に至った要因ってなんなのかな。一貫性に欠けすぎて、一個人の意思決定とは信じがたいところもあるが。そもそも、室町幕府の体制が、将軍と守護大名の合議制で、さらに、おそらく守護大名や有力武家の家臣団も合議制と考えると、内部で、誰を支援するかのせめぎ合いがあったのだろうか。
第二部は、応仁の乱本編。まあ、このあたりは、他の本でも触れられる話なので、パス。興味深いのは、奉公衆などの独自軍事力を保持して、序盤は、ある程度局外中立的な立場にいられたという話。独自軍事力は大事と。
第三部は、応仁の乱のその後。
応仁の乱で室町幕府は終わったと思われがちだが、畿内近国に関しては、その後、幕府権力と統治の再建が進み、特に京都は、その後、数十年にわたって、平和であったことが指摘される。
また、この間、義政は、東山山荘の建設と独自の美的生活への耽溺に邁進する。ファッションリーダー的な感覚で、義政の生活スタイルが真似され、それが幕府の権威となった。一方で、これらの奢侈のコストは、山城国など特定地域に集中的に賦課され、それが、また幕府の基盤を掘り崩すことになったという。
この、義政の東山山荘生活は、浪費とか、引きこもり的なイメージで語られることが多いけど、実際には、現実的な力が極限された室町将軍が、文化的な力を、権威回復の手段として選んだと言えそうだよな。全国的に影響を及ぼす手段としては、軍事力よりよっぽど機能的だったと言えそうだし。ソフトパワーという観点から見直すと、どう評価されることになるのだろうか。