「四つの廟」碑

 細川幽斎・忠興墓所の入り口に建っている説明用の石碑。わざわざ、コンクリで作られているのが珍しい。



  四つの廟
 寛永九年(一六三二)肥後五十四万石の領主と
なって入国した細川忠利は、同十四年に現在地に
泰勝院を建立し祖父細川藤孝(幽斉)と祖母光寿
院および母秀林院の廟を建立した。泰勝院は藤孝
法名である。 忠利は寛永十八年になくなって
北岡の妙解寺に葬られたが、正保二年(一六四五)
に、その父忠興(三斉)がなくなると、当主の光
尚は忠興をその夫人秀林院の廟の隣に葬り、ここ
に四つの 廟が出来上がった。
 正保三年に光尚は泰勝院を瑞雲山泰勝寺と改称
して独立の菩提寺としたが、綱利の頃山号を龍田
山と改められた。 寺は明治二年の神仏分離によ
って廃寺となったが、細川家中興の祖である藤孝
忠興両夫妻を祀る四つの 廟は大切に維持されて
きた。しかし第二次大戦後の世情によって手入れ
が行届かず大破に及んだ。昭和四十八年度大修理
を実施して旧に復した。 廟はいずれも二間四方
の方形造で四隅の鬼瓦はなお古式を伝えており、
前面には大正時代に設けられた向拝がついている。
中の墓石はいずえも五輪塔形式で、水輪(二段目
の球の部分)に比して火輪(笠の部分)が小さく
江戸初期の特徴を示している。