永青文庫研究センター学内共同教育研究施設化記念講演会『永青文庫 歴史資料研究の現在』に出撃

 チラシで見かけて、出撃。来賓挨拶だのなんだの、儀式ばっているなとおもったら、永青文庫研究センターが改組された記念行事なわけね。始まりの時間が妙に遅かったのも、レセプションにあわせたようだ。
 講演は二本。最初は稲葉継陽氏の「永青文庫研究センター 成果と課題」ということで、センターの活動の総括みたいな話。後半は、今年から熊大に移籍してきたらしい今村直樹氏の「永青文庫藩政史料の魅力」ということで、史料の中身の話。熊本藩の史料が、江戸時代の歴史像をがらりと変えるかもしれないか。


 まずは、「永青文庫研究センター 成果と課題」。永青文庫研究センターの実績や新知見と、今後の課題。当初の目標であった目録の刊行や永青文庫叢書の刊行。シンポジウムや共同研究を組織。研究成果の発信など。目録は、内容もデータ化し、データベース上では、内容でソートして検索も可能になっていると。
 永青文庫の史料は細川家の「御家の資料」と藩政史料から成り、どちらも、有用と。前者では、室町将軍側近という特殊な出自から、信長と将軍の交渉内容が残ったり、幽斎の学芸資料の重要性など。後者は、藩政史料がほとんど残っていることの重要性。百姓の側が法を定めて、公儀権力と共同行使。さらに、具体的な政策の提言を通じて、政治過程を左右する高度な自治と地域運営における代議制的な要素。現在のところ、幕領をモデルに形成が議論されているが、むしろ熊本藩のような国持大名領でこそ、早期に形成されたと。
 今後の課題としては、目録のWEB公開、冊子状史料に収録されている史料単位の細目録の作成。松井文庫をはじめとする熊大所蔵史料の目録作成や解析。出版活動や社会貢献と。
 研究が蓄積されてこそ、それを還元する地域貢献活動ができると。


 今村講演は藩政史料からわかること。大きな影響力を持つ国持ち大名の史料が、ほとんど残っていること。さらに、全国で藩政改革のモデルとされた宝暦の改革など、むしろ高度な行政制度を持っていて、日本全国の研究のモデルになりうると。
 宝暦の改革によって、肥後藩が「諸国より法を取りに来る」と言われる、モデルとなったこと。藩庁の部局整備や藩校の設置、刑法改革など。これにより、藩庁から村にいたる重層的な行政組織の整備や地域からの起案に基づく政策形成、年功など客観的な基準による能力主義的人事制度の整備など。高度に発達した行政機構が存在したこと。
 また、大藩だけに、中央政局との関係が深く、また、幕府側も、折りにふれて影響力を強化したい、そういう綱引きが見られると。その事例として、松平定信による上納金要求と、それが、雲仙岳の噴火と津波によって中止され、逆に援助を受けるようになった顛末。あと、斉樹の急死の際に、将軍家斉の子を養子として押し込まれそうになり、「幽斎様以来御血脈」と藩内が動揺した事例が紹介される。
 また、近代への連続性の再評価の話も興味深い。手永を単位とした広域的自治活動が、肥後藩解体後も、住民自治の単位として継承され、手永の財源であった会所官銭が付け替えられた郷備金は、社会資本(鉄道・学校・病院など)の整備に活用された。
 このような藩政史料は、明治維新に伴う熊本藩の消滅によって散逸の危機にあった。しかし、旧藩士が、国家全体の歴史記述に貢献すると、保全に奔走したという。このような、志をついで、「熊本から変える、変わる日本史」というように、新たな歴史研究の中核になろうというお話。