田中康弘『山怪:山人が語る不思議な話』

山怪 山人が語る不思議な話

山怪 山人が語る不思議な話

 いまだに、山ってのは異界なんだな。
 東北地方のマタギを中心に、山の不思議話、怪奇譚を聞き集めた本。時代としては、1960年代あたりまでのエピソードと割りと最近のエピソードが混在している感じ。狐無双。キツネにばかされるお話が多い。あと、ふと方向感覚を失って、それが死に直結してしまうというのも、怖いな。一方で、山一つ越えるだけで、キツネの存在感がなくなる共通性と独自性。
 特定の人がそういうのを見るというのも、おもしろい。


 雑多な話を集めているので、それは普通に原因があるんじゃという話も混じっているような。「神かくし」って、単純に目を離した隙に変なとこまで行っちゃっただけのような。4歳ぐらいだと、自分の体力の限界を知らないし、危険も認識していないから、大人からするととんでもないところまで入り込んでいたりする。あと、カーナビの異常も、地形的特性なんじゃないのかなあ。「鬼の夢」も、睡眠不足が影響していそうだし。テントという、外界と布一枚の距離感が、心理的に影響するのかな。


 木を切り倒す音を真似する「狸」というのがおもしろい。あとは、「海の日」に竹薮に入ってはいけない、入ったらものすごく暴れるとか。
 鬼火の目撃談が多いな。あとは、「死者が帰ってくる」話とか、山小屋に姿が見えないヒトがやってくるとか。


 これは、民俗学の研究書じゃないから、問題ではない範疇だろうけど、インタビューの手法には、疑問が。あとがきで、「呼び水」として、自分から、他の場所で聞いた話をしたとある。これが、話者の想像力を規定してしまった側面は結構あるんじゃなかろうか。

 只見町の猟師は現在危機的な状況にある。二〇一一年の原発事故以降、熊肉の食用や流通が禁じられているからだ。食べるにしても利用するにしても、熊を撃つには理由があるのだ。それは猟師の喜び、そして誇りに繋がる。危険と隣り合わせの山行きは生きる証しでもあったのだ。それが今は単に有害駆除のみでの出猟である。ドラム缶製の罠に捕まった熊を撃ち殺して廃棄する。そこには熊撃ちの誇りも喜びも無い。こうして年々タテを納める(猟をやめる)人が増えているのである。p.144

 大地と生きる術を奪った原発事故の罪深さ。ただ撃ち殺すだけじゃ、そりゃ、やりたくも無いだろう。