「京都御所警備の日記が冊子に:明治の「藩兵出動」ひもとく:芦北町「赤松館」第5代藤崎彌一郎:訓練や金銭出納を記録」『熊日新聞』14/1/12

 芦北町田浦の国登録有形文化財・藤崎家住宅「赤松館」の第5代当主藤崎彌一郎が明治の初めに細川藩士の一員として京都御所の警備に就いた際に書いた日記が冊子になった。NPO法人赤松館保存会が「郷土史の研究に活用してほしい」と作成した。


 日記は2007年に赤松館で見つかり、地元の郷土史家が解読した。1869(明治2)年5月の出発から同12月の帰郷まで約7ヵ月間の記録で、彌一郎は当時18~19歳。
 警備には田浦、佐敷、津奈木、水俣など芦北・水俣地域から総勢約60人が参加。藩主・細川斉護の6男で明治政府参与だった長岡護美に従い、京都壬生にあった肥後屋敷に詰めていたという。
 彌一郎の日記には、日々の警備や訓練、金銭の出入りに関する記録や、任務の傍ら寺や墓巡りをしたこと、病死した仲間を南禅寺に埋葬したときのことなどが記されている。
 「明治の『細川藩兵』日記」と題し、300冊作成。町など関係機関に配るほか、郷土史研究の資料として希望者に提供する。
 第7代当主の藤崎正彌さん(80)は「明治4年廃藩置県以前の旧体制下で最後の『藩兵出動』ではなかったか。どういう命令系統で何を目的とした警備だったかなど、詳しい調査が進むきっかけになれば」と話す。       (川崎浩平)



 メモ。こういう日記は、生活の情報源になりうるから、そっち方面で興味があるな。2014年刊行だけど、まだ手に入るのだろうか。最近、コピーは半分までとかうるさいから、あまりやりたくないのだが。