桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす:混血する古代、創発される中世』

 改めてタイトルを見直すと、副題の「混血する古代、創発される中世」というのが、そのまま、内容を示しているな。


 情報量が豊富すぎて、いまいち咀嚼しきれていない。あと、読むのに時間がかかって、読み終わってからも、風邪で時間がたってしまって、感想が書きにくい。
 大まかには、貴族制と官僚制の中途半端な融合物であった古代国家では、増えていく皇族や藤原家といった貴族家門の成員が、自己の食い扶持を確保するために地方に進出。それぞれの地域の古代豪族が、郡司として采配していた地域社会秩序は大混乱に。その中で、古代豪族の系譜を引く地元有力者層と都で仕事がなくて地方にやって来た皇親貴族の子孫たちが血縁を結ぶ。地元有力者は娘を「貴種」の嫁にすることで、周囲から一頭抜けた権威を確保できる。しかも、孫は、中央貴族の子孫そのもので血統ロンダリングに成功。一方で、食い詰めた王臣子弟の方は、有力者の娘婿として経済的援助を期待できる。二者の結合。そこに、坂上氏や多治比氏など「将種」の技術が注入。後に「武士の家」となる勢力が各地に叢生することになる。
 そうやってできた「家」から、天皇直属の武力である滝口武士や将門の乱の鎮圧の実績などによってピックアップされ、国家の軍事力として制度化される。
 高橋昌明『武士の日本史』の、衛府の武官が、もともとの武士で、段階的に拡張して言ったという認識と真っ向から対立するものなのが興味深い。むしろ、衛府は、その軍事力の実質を担う舎人が、仕事をしなくなって、形骸化していた、と。


 儒教の「礼」の思想が、表裏に作用しているという指摘が興味深い。
 そもそも、騎射という武芸そのものが、儒教では、主君を守るための禄を食む者が身につける技術だった。それが、日本に輸入されて、武士の表芸になった。
 また、「武士」を名付け、制度化するのに、儒教マニア宇多天皇とそのブレーン菅原道真の重要性。武芸のプロフェッショナルを、その職能に即して取り立てることは、儒教の世界観にかなうことだった、と。


 そういえば、倉本一宏『藤原氏:権力中枢の一族』で、増えまくった藤原氏が、他の古代豪族を押し出して、中下級の官職も抑えていった姿を紹介するが、その後、さらに、地方まで押し出していったのだな。
 ついでに、子供がめちゃくちゃ少なかった奈良時代と打って変わって、桓武の子孫はむやみやたらと増え、これまた、ガンガンと地方に散っていく。繁殖力強すぎだろう。桓武の子供が36人って。そりゃ、国家の制度がおかしくなるわけだ。なんで、こんなに無軌道に子供を作りまくったのだろう。よく考えると、荒淫に、戦争と建設で国の財政を傾けるって、中国あたりの国を滅ぼす暗君の典型的パターンだな。日本国は、よくひっくり返らなかったものだ。


 非常に情報量が多くて、興味深いのだが、一方で、史料的な制約もあるのだが、地域社会や蝦夷社会がブラックボックス化しているのが気になる。
 墾田永年私財法によって、王臣家が各地の土地を抑えまくる。それに対して、規制をおこなう朝廷は無力。古代豪族を核とした地域秩序は混乱状態に陥る。国司や郡司を借金漬けにして、納税を不可能にする。自力救済がこれでもか、これでもかと描かれるが、それを迎えた地域社会のほうは、どのような行動を行ったのだろうか。政治的に混乱すれば、円滑な生産活動が阻害されて、人口が減少したり、集落の配置の変動がありそうだけど、なんかそういう話が出てこないのが不思議だな。六国史や貴族の日記といった情報源からは、そのあたりの機微が見えない。
 あと、藤原秀郷蝦夷に騎射を学んで、武士の開祖の一人になったように、「蝦夷の騎射」が武芸の源流として描かれる。しかし、よく考えると、狩猟の手段としての騎射って、めちゃくちゃ効率悪いのではなかろうか。人間が大飯ぐらいの上に、さらに、馬という大飯ぐらいもいたら、「生業としての狩猟」は成り立たないように思う。蝦夷側にも、儒教を核にしたか、大陸から強く影響を受けた、政治秩序があったのかなあ。九州人には、蝦夷というのが、どういう存在なのか、いまいちピンと来ないところがある。


 情報量が多くて、それが意外な歴史観をもたらす点で、非常におもしろい本。ただ、個人的には、ここから。最後に匂わされている、古代氏族が、どのようにしぶとく、武士にすり替わっていったかのほうの興味が強い。続編の出版が強く待たれる。


 そういえば、日本で弩が普及しなかったのは、何故かという議論がしばらく前にツイッターであったけど、本書の記述に即していえば、軍団制度と一緒に、弩の生産・維持基盤も、財政難でリストラしたからというのが、答えになりそうだなあ。