平川南『よみがえる古代文書:漆に封じ込められた日本社会』

よみがえる古代文書―漆に封じ込められた日本社会 (岩波新書)

よみがえる古代文書―漆に封じ込められた日本社会 (岩波新書)

 多賀城など、東北地方で最初に確認された漆紙文書から、どのような情報が読み取れるかを紹介する本。1994年刊行と、20年以上前の本。90年代半ばに買って、読んでいるのだが、久しぶりで、新鮮に楽しめた。
 漆が空気に触れて硬化するのを防ぐために、紙でふたをする。その紙は、漆にコーティングされて、土の中で分解することなく残存する。使い捨てにするだけに、紙が貴重だった古代には、両面に文書を書いた後の反古を、使用していた。古代の行政文書が、1000年以上の時を超えて、保存される。必然的に、円形の断片が残るだけなのだが、正倉院文書などと突き合せることで、これだけの情報が引き出せるのだな、と。
 暦は断簡から、年がかなり推測できる。あるいは、習字の練習に使われたり、九九の練習に使われた紙や教科書らしきものが見つかっていたり、費用を請求した文書が出土している。


 あるいは、古代軍団に関わる名簿断簡や欠勤届、装備点検の文書などが出土。どこの軍団がどこの城の指揮下にあったかなどが明らかになる。あるいは、陸奥守の自署文書が出ていて、坂上田村麻呂の息子広野の署名らしいものが出土。田村麻呂本人や大伴家持の署名も出土する可能性があるという。それはロマンがある。
 対蝦夷戦争の負担が東日本の各地に負荷された事実。兵士の装備品、特に弓とその付属品や日常の生活用具は自弁だったから、ずいぶんな負担だったろうな。あと、鎧のための皮革を集める必要があったようだが、それも大きな負担だったろうな。2000領の鎧のために、どれだけの牛馬が必要だったのか。一領に一匹にしても、2000匹分だからなあ。


 古代の住民台帳である計帳の話も興味深い。正倉院文書から、きっちり調査していたわけではなく、特定の時期の調査を元に、機械的に一年足していっていたとか、住民移動の書類、提出用書類制作の過程などが明らかになる。あるいは、出挙や田地調査の記録など。