畑中章宏『天災と日本人:地震・洪水・噴火の民俗学』

 タイトル通りの本。日本列島の住民が、様々な災害とどう付き合ってきたかを追っている。水害・地震・噴火・風雪害の4種類について、それぞれ、歴史的な展開を紹介する。切れ切れに読んだせいか、どうも、頭に入ってない感があるけど。
 熊本に住んでいると、雪害・風害とは、基本無縁なので、なかなか印象的。交通が麻痺するのはともかくとして、集落が壊滅状態に追い込まれる規模の雪崩が、割合最近でも発生しているのだな。あとは、ヤマセやフェーン現象、高潮などの風害。風害といえば、台風くらいしか思いつかないけど、場所によっては生活上の影響が非常に大きいのだな。


 やはり、水害は、一番身近な災害のためか、信仰や習俗の面で情報量が多くなるな。治水の神様としての十一面観音。様々な雨乞い・治水の宗教儀礼。そして、可能な範囲で、水害に対抗するための施設の建設。近代に入ってからの大規模な治水工事。


 第2章は地震津波津波に関しても、様々な伝承の形で後世に警告を残し、被害を減らそうと試みていた。静岡県の晴明塚や、難波と堺の津波碑、様々な伝承類。そして、高所移転。地震を表象するものが、竜から鯰に代わっていった話も興味深い。


 第3章は火山。古代には、火山活動に対し、その山の神の位階を上げることで、慰撫し、禍を収めようとしていた姿。このあたりは、古代の文献に記録が残っているから、ひかくてき目立つ事例だな。火山島である桜島や三宅島には、たくさんの神社が祀られている。三宅島では、これらの祭祀を組織化し、1000年にわたり統治を行ってきた壬生家って、なんかロマンだな。現在はどうなっているのだろうか。
 火山堆積物で復興に時間がかかってきた姿。あるいは、むしろこちらの方が大きな脅威である山体崩壊の話など。


 第4章は先に述べた雪害・風害。1918年新潟県三俣村で158人、1940年の岐阜県白川村の16人、1963年福井県勝山市横倉の16人、1986年の新潟県能生町柵口集落の13人など、集落を襲う大雪崩は、北陸では20年おきくらいに起きているのだな。


 最後は災害と文化という話。防災力や災害と向かい合うにあたって、地域文化にもっと注目するべきという指摘と考えればいいのかな。全体として、本書のメッセージを、消化し切れていない自覚があるが。
 地域コミュニティが減災や復興に重要であること。しかし、地域のつながりを無視した市町村合併や地域社会の衰退が、それを弱めてしまっていること。
 災害の「悔恨」を伝承していく、地名やモニュメントをはじめとする、様々な積み重ね。弱者に被害が集中する姿。死者や行方不明者と、どう向き合うかの問題。死者との関係としての「文化」の重要性。