- 作者: 日本史史料研究会,神田裕理
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2017/12/30
- メディア: 単行本
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前史として、平家政権時代には、宮廷の連絡システムを利用していたこと。これが、清盛が福原に住むようになった時に、両者に距離ができたために、伝奏の前身のようなものが出現した。さらに、関東に自立的軍事集団として出現した鎌倉幕府の場合は、そのような仲介役の必要性が高まった。最初の関東申次である西園寺実氏の登場までは、将軍家の血縁者で宮廷の実力者が、朝幕関係を仲介すると同時に、自己の地位を高めるために利用した。その後、西園寺実氏に一本化、西園寺家が世襲する形で、鎌倉幕府消滅まで続く。
室町時代に入ると、将軍は京都に常駐するようになり、将軍に家礼として奉仕する公家たちが、伝奏として文書を発給する。また、将軍と朝廷の力関係によって、伝奏のあり方も変化するようになる。基本的には、かなり将軍に近いという印象。
後の天下人たる信長や秀吉になると、また朝廷側の役職の性格が強まる。信長の「五人衆」といい、やはり、朝廷側の実務に強い人が選ばれるのは、単純なメッセンジャーではなく、両者の利害を調整する役割であるということなのだろうな。朝廷側に持ち帰って、そこからもめるようでは埒が明かないと。
最後は近世の武家伝奏。最初のうちは個人的な能力によって、まとめられていたが、四代目家綱の時代になると、役職が固まるようになる。朝廷の政務を運用する議奏から、武家伝奏に昇進するキャリアパスの整備。
この時代になると、朝廷と江戸幕府のやり取りに関する史料が残されていて、互いの立場の間で板ばさみになったり、京都所司代や禁裏付の武士と交渉したり。18世紀にはいると、どちらも財政が悪化して、資金を巡るやり取りが多くなるというのも興味深い。
最後は、明治維新によって武家伝奏が消滅したあと。幕府とつながりがあった各種役職は廃止消滅させられるが、各藩は存続し、様々な社会集団とやり取りする仕事はなくならず、参与が仲介役の任務を果たすようになった、と。なんか、明治維新後に公家の存在感って、あんまりないけど、この時期だと、様々な政務にかかわっているのだな。