神田裕里『伝奏と呼ばれた人々:公武交渉人の七百年史』

伝奏と呼ばれた人々:公武交渉人の七百年史

伝奏と呼ばれた人々:公武交渉人の七百年史

 関東申次武家伝奏と呼ばれた、武家と朝廷を仲介する朝廷側の代表者についての通史。だが、うーん。室町時代以前において、政治過程でどのような役割を果たしたのかがいまいち見えないのが、不満点。単純に、文書の宛先だっただけなのか、文書発給までに下交渉がかなり行われたのか。鎌倉時代には、朝廷の実力者が任命してるあたり、単なるメッセンジャーではなくて、相互の利害を調整する存在なのではあるのだろうけど。


 前史として、平家政権時代には、宮廷の連絡システムを利用していたこと。これが、清盛が福原に住むようになった時に、両者に距離ができたために、伝奏の前身のようなものが出現した。さらに、関東に自立的軍事集団として出現した鎌倉幕府の場合は、そのような仲介役の必要性が高まった。最初の関東申次である西園寺実氏の登場までは、将軍家の血縁者で宮廷の実力者が、朝幕関係を仲介すると同時に、自己の地位を高めるために利用した。その後、西園寺実氏に一本化、西園寺家世襲する形で、鎌倉幕府消滅まで続く。


 室町時代に入ると、将軍は京都に常駐するようになり、将軍に家礼として奉仕する公家たちが、伝奏として文書を発給する。また、将軍と朝廷の力関係によって、伝奏のあり方も変化するようになる。基本的には、かなり将軍に近いという印象。
 後の天下人たる信長や秀吉になると、また朝廷側の役職の性格が強まる。信長の「五人衆」といい、やはり、朝廷側の実務に強い人が選ばれるのは、単純なメッセンジャーではなく、両者の利害を調整する役割であるということなのだろうな。朝廷側に持ち帰って、そこからもめるようでは埒が明かないと。


 最後は近世の武家伝奏。最初のうちは個人的な能力によって、まとめられていたが、四代目家綱の時代になると、役職が固まるようになる。朝廷の政務を運用する議奏から、武家伝奏に昇進するキャリアパスの整備。
 この時代になると、朝廷と江戸幕府のやり取りに関する史料が残されていて、互いの立場の間で板ばさみになったり、京都所司代や禁裏付の武士と交渉したり。18世紀にはいると、どちらも財政が悪化して、資金を巡るやり取りが多くなるというのも興味深い。
 最後は、明治維新によって武家伝奏が消滅したあと。幕府とつながりがあった各種役職は廃止消滅させられるが、各藩は存続し、様々な社会集団とやり取りする仕事はなくならず、参与が仲介役の任務を果たすようになった、と。なんか、明治維新後に公家の存在感って、あんまりないけど、この時期だと、様々な政務にかかわっているのだな。