塩山策一他『変わりダネ軍艦奮闘記』

変わりダネ軍艦奮闘記―裏方に徹し任務に命懸けた異形軍艦たちの航跡

変わりダネ軍艦奮闘記―裏方に徹し任務に命懸けた異形軍艦たちの航跡

 雑誌『丸』に掲載された手記を集成した本。多少なりとも華々しいのは仮装巡洋艦愛国丸・報国丸と砲艦のエピソード程度。あとは、護衛に哨戒にと、こき使われつつ、消耗していった、小艦艇のお話。
 工作艦明石から始まって、標的艦、測量艦、輸送艦船、特設巡洋艦水雷艇駆潜艇、掃海艇、砲艦。さらに、太平洋上で哨戒を行った「黒潮部隊」や魚雷艇揚陸艦艇の話など。巻末の、コンクリート船の手記が興味深い。
 補助艦艇に関しては、手に入りやすい情報源が少ないので、興味津々で読める。それぞれの手記が短いので、サクサクと読破できるし。


 それぞれの艦種の活動がおもしろい。
 標的艦については、矢風と大浜の二隻。1キロ練習爆弾でも、たくさん当たると、ダメージが入るのだな。外板がボコボコになる。しかし、まともな武装も、探知機も装備していない矢風に船団護衛をさせるって、いくら船が不足だからって、むちゃくちゃやるな。むしろ、護衛を受ける側だろうに。最後の標的艦、大浜、3000トン、34ノットって、ちょっとした巡洋艦並みの性能だな。結局、燃料不足で、最後は訓練もできなくなったそうだが。
 特設巡洋艦の中でも優秀艦として期待された愛国丸・報国丸の二隻の活動について、手記が二本。開戦時には、ニュージランドの北の南太平洋で通商破壊を行っていたのか。その後は、インド洋方面で作戦。途中で護衛の掃海艇の反撃をうけて、炎上、沈没。愛国丸で見ていた人の、接近しすぎ、航空機を積んだまま海戦を行った油断は、なるほどなと。
 掃海艇については、八号と特設掃海艇第二朝日丸の二本。八掃こと第八号掃海艇は、対戦末には輸送に護衛にと敵中に孤立したインドネシアで便利使いされていた。最終的にはインドネシア内の復員輸送に使われ、海没処分か。第二朝日丸のほうは、本土での掃海活動メイン。磁気機雷に関しては、ある程度の対策が行われていたが、ほとんど処分できなかったこと。小型の機帆船を生贄にしていた。末期の日本のアレな状況がてんこ盛りで…
 魚雷艇の設計者の手記も印象的。早い段階から、海外のものを購入して、研究していたが、ものにならなかったわけか。重量過多、エンジンの冷却不足、エンジンの周辺機器がダメなど、本当に基礎工業力の欠如としか言いようがないな。
 砲艦に関しては、勢田の日中全面開戦直前の情勢の話が興味深い。こっそりと知らせてくれた人物の存在。あるいは、民間人退避の間は、攻撃を控えていたっぽい砲台など。
 他に、病院船橘丸が拿捕された時の状況を回想する手記や大発・神州丸などの揚陸艦艇の記事など。


 宮崎駿の雑想ノートで有名になった特設監視艇に関連する記事は4本。日本の東方海上で、侵攻を図る艦船を監視した、漁船転用の哨戒艇。少しでも有力な相手に遭遇すると、まともな武装を持たないこれらの船は一方的に撃破されるしかなかった、文字通りの最貧前線。ドーリットル空襲時に機動部隊との遭遇を報じ、撃沈された第二十三日東丸や大戦末期、ほとんどの艦艇が逼塞する中で、B-29の本土爆撃などを報告し、潜水艦や航空機に撃破されたフネブネ。もう、なんとも悲惨としか言いようがない。
 手記は、それらの監視艇を支援した特設砲艦の乗員の記事が一本に、監視艇の電探長経験者の記事が一本、他の二本は研究者の記事というのが、特設監視艇の状況を見せている感じだなあと。
 特設砲艦も、開戦直前までまともに準備ができていなかったとか、居住設備が商船時代のままで規模過小で、真水の供給や食料などの給養が悪かった。また、時化では、1000トン級の商船でも、かなり揺れたとか。なんか、もう。本書では、「オンボロ」と書いてあるが、ネットの資料だと、竣工5年目だから、くたびれてというほどではないはずだが。


 ラストのコンクリート船の記事が興味深い。コンクリを新調合した話や、おそらく武智丸の名前の下になった協力会社浪速工務所の社長武智正次郎氏との出会いの話など。設計者からすると、好成績だったようだ。
 磁気機雷に引っかからなかったという話、どの程度、信用できるのだろう。一隻で行動していても、磁気機雷に引っかからないレベルだったら、掃海活動に積極的に利用できたと思うのだが。Wikipediaでは、一隻が触雷沈没だそうだけど。