五十畑弘『日本の橋:その物語・意匠・技術』

 日本の橋の姿を前近代から近代まで追いかけ、橋にまつわる物語や建設契約にも言及する。伝統的な日本の橋が、桁橋ばかりなのは、確かに不思議だなあ。とはいえ、日本の川が急流で、しかも頻繁に水害を起こすことを考えると、手間がかかるアーチ橋は選択外になったのかな。本書では、紹介されてないけど、熊本の石橋も、だいたい山間部が多いし、平坦な場所に橋脚を少なくするというのは、不得意なのではなかろうか、と。


 古代からの著名な橋、勢田橋や宇治橋、江戸や京都の橋などが紹介され、その後、反り橋や近世に導入された石造アーチ橋の紹介が続く。伝統的な日本の橋は、木造で、10年程度で架け替えられた、消耗品であったと。
 たくさんの梁で支える刎橋の姿が印象的。愛本橋や猿橋。さらに、反橋が、中国のアーチ橋を模して、異国情緒を感じさせるためであったこと。そのため、下に広い空間を取るという「本来」の目的が捨て去られて、橋の下に貫構法の橋脚が設置された。
 百何十年で被災してしまう日本の石造アーチ橋の状況も興味深い。ヨーロッパほどの永続性はない、と。


 第3章は、明治初頭に日本人が海外で見聞した橋をどう表現したか、逆に、外国人がどのように見ていたのか。


 第4章は、近代に入って、鉄や鉄筋コンクリートの橋が、どのように導入されていったのか。鉄橋をかけるには、鉄を加工するための、鉄工場が必要だった。最初は官営の工場で。明治20年ごろから、造船所を中心に、民間も参入してくる。しかし、素材である鉄鋼の輸入は続き、それを国産できるようになるのは、八幡製鉄所ができてから、と。
 鉄製の橋が、ヨーロッパで既に百年以上の伝統を重ねていて、模倣導入ばかりだったのに対して、新素材である鉄筋コンクリートは、日本の技術者が新規開発に参画できるという点で魅力的であった。また、素材の石灰石が国内で自給できること、また、第一次世界大戦で鋼材が不足するようになったことが、鉄筋コンクリート製の橋の普及を促した。
 対照的なのがおもしろい。


 第6章は可動橋、第7章は木造トラスのお話。最後は、橋の建設契約について。江戸時代も中盤以降は、民間による入札が行われていた。明治に入ると、国家が中心になって、建設が行われた。特に、鉄道の橋梁は、国家主導で行われ、鉄道局長の井上勝との個人的信頼関係によって、労働力提供の請負業者が選定されていた。1890年に導入された会計法によって、一般競争入札で行われるようになったが、業者が乱立。指名競争入札になる。ヨーロッパなんかでは、「自由競争」による技術力不十分な業者の参入を、どう防いでいたのだろうなあ。