移転、変貌した保田窪忠霊塔

 通りがかりに、保田窪忠魂碑の敷地を見たら、見慣れない石碑が出現していた。産業道路の反対側にあったはずの忠霊塔が、忠魂碑の敷地に。しかも、石碑の形もずいぶん変わっていて、何があったのか分からなかった。かつては、立派な自然石の石碑だったのだが。敷地が狭くなったため、中央部だけ、切り出したのだろうか。
 何があったのだろうか。倒れてるようには見えなかったけど。意識していなかったな…


Before


      ↓
After




 かつての敷地は更地になっている。



 碑文はそのまま。

時惟れ昭和十二年七月支那事変勃発し戦
禍は次第に発展し遂に大東亜戦を惹起し
世界の強国は挙て我に敵対し戈を交えざ
るの已むなきに至れり郷土の四十一氏は
召に応じ身を挺して勇躍征途に上り或は
朔北の荒野に或は南洋諸島に力戦奮闘し
貴き一命を祖国に捧げ遂に異国の土と化
せらる誠に痛惜哀悼に堪えず不幸戦利有
らず我国は敗戦の悲運に陥りたれども諸
氏の功績は偉大にして不滅後人をして感
憤興起せしむ茲に諸氏の英霊を慰め其の
功績を後世に伝えんがため此の塔を建つ
忠魂希は永えに安らかにして祖国再建と世
界人類の平和を守られん事を


昭和三十八年二月吉日

     保田窪遺族代表

          松本武男謹書